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[235]日本人の宗教感覚

  

 

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教といった一神教は、わかりやすいです。神様は1人しかいないので、神様の教えは絶対です。神様の教えでないものは「悪」です。人間は、神様の教えに照らして、善か悪かを判断します。基準が1つで明確なので、○か×かが区別しやすいです。

その一方、×とみなされたものは、徹底的に×です。だからこそ、問題解決に徹底できるとも言えますが、そこに、排他性が生じる場合があります。

日本の宗教感覚は、欧米とはかなり異なっています。多くの日本人は、自分がどの宗教を信仰しているか、あまりこだわりません。むしろ、宗教をあまりよく思わない傾向すらあります。欧米の人は信仰を大事にしますし、信仰を大事にしない人を尊敬できないと思っているようです。日本人は、仏教も神道も同じようなものだと考えている人が多いでしょう。仏教の中の宗派は、本尊も教義も大きく違うのに、同じ仏教だと考え、どの宗派かにはあまりこだわらない人が多いようです。

昔ながらの家には、神棚も仏壇もあることがふつうです。神様も仏様もなんとなく似たもののように思っているし、どの神様か、どの仏様かはあまりこだわっていません。教義の違いさえ大事なことではないようです。

一神教では、人間と神様は絶対的に違う存在であって、人間が神様になることはありません。日本人の感覚では、人間は死んだら仏さんになる、と考えることが自然のようです。人間が死んで神様として祀られることもあります。そこでいう神様は、一神教の神様と同じなのか、違うのか、はっきりしません。日本人にとって神様は無数にいるので、一神教とは違うようでもあります。

日本人の宗教感覚は、欧米から見ると、じつにいいかげんに見えそうです。本尊も教義もてきとうです。

じゃあ、日本人には宗教感覚がないのかというと、そうでもありません。

人間は自然の一部であるとか、世界と自分の心はつながっているとか、どんな悪いものにも良いところがあるといったことを、幼い頃からいろんなところで聞いて親しんでいるはずです。

だから、日本人は、絶対的な×という判断を好みません。日本人は、自然も社会もうまく成り立っていくことを「良いこと」と考えます。自然の恵みを頂いたら、自然へお返ししなければ。自分が受けた恩は忘れずお返しする。自分さえ良ければという考えは恥ずかしい。社会のお役に立つことこそ尊いのだ。こういった感覚が自然と育っています。

日本人にとっての「良いこと」は、絶対的なものではないので、時代や環境によって、変わります。だからこそ、異質な文化を上手に学び、取り入れていくことができるのです。

では、日本人の宗教感覚が欧米より優れているのかというと、そうとは言い切れません。

日本人は、異質なものから学ぶということと、みんなが成り立つということを大事にしますが、この両者は矛盾する場合もあります。「みんな」が限定された社会である場合、みんなが成り立つということは、その社会だけを成り立たせればよいという考えになりがちです。いわゆるムラ社会の発想です。内向的になり、排他的になることも珍しくありません。すると、異質な文化を徹底して排除する動きへ向かってしまいます。

日本人がこれを超えて行くには、「みんな」を世界へ置き換える必要があるでしょう。「みんなを成り立たせる」ことを「世界を成り立たせる」と考えることができるなら、さらなる発展が見出せるのではないでしょうか。

現在の日本が停滞しているのは、経済大国となったことで、学ぶ相手がなくなってしまったと錯覚していることが原因じゃないかと思います。世界を成り立たせるには、まだまだ無限に学ぶことがあります。そして、そこにこそ、日本の際限なき発展があるのではないでしょうか。

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