平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[236]日本人の可能性

  

 

私たち日本人は、異質な文化を学んで取り入れていくのが上手な国民です。学ぶということは、そのままコピーすることではありません。

日本人の精神性は「禅」というひとことに凝縮されていると、私は考えています。そして、その精神でもって生きていくことを「道」と言います。道には、茶道、華道、武士道、柔道、剣道、合気道、仏道、神道、修験道など、文化、武道、宗教などに使われるばかりか、「学問の道」「野球道」「経営の道」など、ほとんど人間生活のあらゆる分野へ適用可能です。

道は、具体的な何かを習得し、熟練していく過程を通じて、禅を究めるものです。

道のプロセスを語る言葉に「守・破・離」があります。どんな道にも共通した原則です。

守:まず、師匠や先生や先輩の考え方や行動を徹底的に真似します。「学ぶ」とは「真似ぶ」なのだと良く言われます。この段階で自分らしさは不要です。そんなもの、10年早いです。「私」の考えやスキルなど、バカげたちっぽけなものです。自分の考えで行動するなど、うぬぼれもいいところ。先生にこっぴどく叱られるでしょう。この段階は、先生の型を守ることに徹するのです。いわば、丁稚奉公です。

破:よほど先生を真似終えたら、少しずつ自分なりの応用を加えていきます。先生をじゅうぶん真似ると、自分の中に考えや行動やスキルが熟成されていきます。すると、自然に応用ができるようになっていきます。先生の型を破る段階です。

離:そして、先生の型から離れていきます。独り立ちですね。先生の考えや行動にとらわれず、自由に自分を表現し、生きていくことができます。この段階は、お手軽に到達することは不可能です。途方もない守と破を経た後に、ようやく手にできるものなのです。

守破離、まさしく、道険し。

個人の生き方のみならず、国家としても、日本は、異文化を守破離でものにしてきました。古来、中国から伝わったさまざまな文化や文明は、当初、日本は一生懸命マネすることから始め、最後は中国から離れ、日本独自の様式に作り上げていきました。欧米の文化も同じように、守破離で学んでいきました。

ところが、欧米の合理主義には、守破離、すなわち道の概念がないようです。そんなまどろっこしいことは時代遅れで、もっとスマートなやり方を採るべきだ。そんな合理主義を学んでしまいました。

合理主義が悪いわけではありません。どんどん発展や成長をつくっていくには、合理主義は欠かせません。

しかし、合理主義が道を捨てさせるとは、皮肉なことではありませんか。道の精神で学んだことが、道を捨てさせる。

ウサギとカメの物語はいかがでしょう? あれが現実そのものではないでしょうか。急がば回れ。いい言葉があるものです。

じつは、アメリカの成功哲学や、ビジネスに成功した人の話を見ると、どう見ても、守破離を実践しています。そのような言葉や概念はないようですが、たしかに守破離と見えるプロセスを踏んでいます。

多くの人は、彼らのたぐいまれな成功を見て、最短コースをたどろうとします。そして、途方もない回り道をしてしまいます。

明治維新後の急成長も、戦後の奇跡の復興も、経済大国への道も、私たちは守破離で最短コースを歩んできたのではありませんか?

日本はもうダメだなんて、だれが言っているのですか?

さあ、歩きましょう。道を。

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