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創造の力
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創造の力[240]理解することと、理解されること人は誰でも、理解されたがっています。もしかすると、理解されることが人生の目標なのかもしれません。何を理解して欲しいかというと、「私の心の中」ですね。「私の心の中」を一番わかっていないのは、私自身かもしれませんが。 人は誰でも、自分を理解してもらおうと、努力をしています。 お金もそうかも知れません。お金があると、人は私を見てくれます。理解してくれそうに思えます。 およそ、人間の行動で、「理解して欲しい」という欲求に基づかないものなんて、あるのでしょうか? しかし、理解されたいという欲求が満たされることは、か・な・り・難しいです。もしかすると、一生実現しないこともあります。 なぜ、そんなにも難しいのでしょうか? その理由をさがすことは、容易ではありません。分析的、科学的な方法でどうにかなる命題ではないからです。 多様性を統合する、つまり、俯瞰するという方法なら、どうでしょう? ドラマでも、物語でも、現実の体験でも、「理解された」という場面を検証してみましょう。なぜ、「理解される」という現象が生じたのでしょうか。 理解されよう、理解されようといくら頑張っても、理解されることはありません。むしろ、なおいっそう、理解されなくなっていきます。 反対に、他人を理解しようと一生懸命になったとき、知らぬ間に自分も理解されています。こういうシーンは、感動的です。 人は、どうしても逆に考えて行動しがちです。 欲しいものを手に入れようとものすごく苦労しますが、先に相手に与えることで、容易に手に入れることが可能です。相手に与えることは、自分のものが減るように感じます。お金でもモノでも心でも行動でもそうですね。 自分より先に他人が欲しいものを手に入れてしまうと、「なんであんな奴が!」とか「負けてたまるか」とか、「邪魔してやれ!」とか、思ってしまいませんか? そのまま突っ走っても、うまくいきそうにないことは、想像できるでしょう。 私たちが抱える問題のいくらか、というか、多くは、いや、もしかするとすべての問題は、ここらへんに根本原因があるのかも知れません。 自分と他人は違う存在だと思ってしまうこと。そのために、逆のことをやってしまうこと。つまり、世界と一体になるという原理との乖離です。 |