平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[241]「私」の正体

  

 

「私」って、いったい誰なんでしょうね?

自分らしさとか、自分探しとか、公と私とか、自立とか、「私」の大切さがさまざまに言われます。

その一方、「私」が強すぎることは、よくありません。エゴイズム、自己中心的、弱肉強食・・・

「私」がよくなるための方法として広く伝えられていることは、「私」でなく他人をよくする思いや行動です。

禅は、無私や無我を説きます。

「私を否定する」と取るなら、禁欲的な厳しい修行によって、私の存在を消していく方へ向かうようです。それを悟りとか、解脱とか考える人たちもいます。

さすがに、これには同意しかねます。「生きていない方がいい私」を追求することに、意味があるとは思えません。

無私や無我は、そういうものではないという考えもあります。

世界を、「私」中心に見るのではなく、「かかわり」を中心に見る、ということだと思います。じっさいのところ、生きているということは、私一人では絶対になし得ません。じつに多くの人々、あるいは生き物、地球の自然、宇宙などと多様にかかわりあって、「私」が存在しているという感覚の方が、しっくりくるのではないでしょうか。

日本人は、だいたいこういう感覚にふれながら生きているので、むしろ、こういう考え方をどうとも思わない人が多いようです。しかし、欧米の人々には新鮮に映るようで、禅が欧米から注目される理由は、こんなところにあるのではないかと思えます。

そういう意味で、日本人より欧米人の方が、禅をよく見ていると言えるかも知れません。

すると、私か他人か、という区別は適切でなく、私にはどのような「かかわり」があるのか、と観察する方が適切な態度と言えそうです。

世界は、じつに多様で、私の敵や、相容れない主義主張、出来事などに満ちています。だからこそ、かかわりが生かされてくるのだともいえるでしょう。世界が、私の好きなもので満ちていれば、そもそもかかわりなど必要ないではありませんか。

不完全な私が、多様な世界とかかわりあい、世界とともに成長したがっている。これが、世界の姿であり、私の正体ではないでしょうか。

世界とのかかわり、そして成長は、私が理解されたいという思いそのものでしょう。

そしてまた、世界とかかわり、成長するためにも、多様性を理解することが、なにより重要となるのではないでしょうか。

理解することも、理解されることも、現状肯定のように見えて、変革なのです。理解しない私が、理解する私に変わる。それを成長と言います。

そして、成長のためには、私がこだわるキーワード「どたんば」が必要です。理解しない私に、理解することを教えるのは、どたんば以外の何者でもないからです。

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