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[243]「どたんば」は問題解決

  

 

人間には2種類あります。どたんばを愛する人と、嫌う人。

どたんばとは、変化であり、成長です。成長とは、成長後を見据えて予定を立てて成長するようなものではありません。成長は、予定通りに進んでいかないものです。

成長とは、先が見えないものです。

だから、現実の世界では、成長が生まれる直前の状況はどたんばです。「今までの私」が行き詰まって終わりを迎えようとする場面は、恐怖でしょう。それでほんとうに終わってしまうかというと、そうではなく、「新しい私」が始まります。

このようなシーンは、大きな変化をもたらす厳しいどたんばであることもありますが、もっとささいな日常的などたんばもたびたびあるでしょう。

いずれにせよ、どたんばでは、何もかも終わってしまうかのような恐怖を感じるので、とことんどたんばを嫌う人がいることは、当然です。そういう人は、安定を好み、変化やリスクを嫌います。

かたや、どたんばを愛する人は、変化や成長へ強い欲求を持っています。だから、どたんばを恐怖とはあまり感じないようです。いくらかの恐怖があったとしても、それを超えたところに期待できる成長の素晴らしさの方が、はるかに大きいので、恐怖に負けていられないのです。

さて、このようなどたんばですが、どたんばを超える瞬間に起きていることを見れば、どたんば=問題解決とも言えるはずです。

どたんばとは、言い換えると、解決困難な、あるいは解決不可能に見える問題を抱えて抜き差しならなくなってしまった状態です。問題がないところにどたんばはありません。どたんばとは、問題そのものなのです。

どたんばを愛する人は、人生において、おおむね、厳しい道、リスクのある道を選択したがります。そこに、問題があるからです。そして、問題の向こうに成長があるからです。

問題解決が何によってもたらされるか、成長とは何なのか。

このことについて、私はこれまでにずいぶんお話ししてきました。その内容は、私一人が考えたり思いついたりしたことではありません。できるだけ多様な人類の資産を調べた成果です。もっとも、すべての資産を調べ尽くしたなどと言えるわけもなく、まだまだほんのとっかかりにすぎないでしょう。

ただ、多様であればあるほど、単純に統合化する、すなわち俯瞰する視点をもてば、あっけないほど容易に理解が進むことは、間違いなさそうです。

どうも、人間の究極の望みとは、「理解されること」に尽きそうに見えます。そしてまた、このような視点で見るなら、いろんなことが、すとんと理解できるように思います。

しかし、「理解されること」は、非常に困難です。でも、簡単です。それは、先に他人や世界を「理解する」ことで、容易となるのです。

どうも、問題解決とは、他の人々や世界を理解することに尽きるのではないかと考えています。理解するとは、知識で理解するより、心で寄り添うという感じの方が近いです。

親が子を理解するとき、あれこれ理屈を考えてこねくり回して理解しようとすれば、よけいにわからなくなってしまいます。それは、理解しているのではなく、「私の視点」を相手に適用しようとしているにすぎないからです。つまり、理解しているのではなく、理解されようとしているのです。

簡単です。親は、何も言わずに、子をぎゅっと抱きしめる。これだけでよいではないですか。これが、最も子の満足する形ではないですか。

他人の心も世界も、ごちゃごちゃ屁理屈考えんと、ぎゅっと抱きしめる。こんな感じではないでしょうか。試しに、文学作品やドラマの感動的なシーンを思い起こしてください。こうなっていませんか?

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