平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[248]世界の仕組み

  

 

世界は競争原理で成り立っていると、先進国の多くの人々は考えています。

誰かが儲ければ、誰かが損をする。誰かが幸せになろうとすると、誰かが不幸になる。誰かが自由を得れば、誰かが犠牲になる。誰かが成功すれば、多くの人が代償となっている。

それが間違いだとは言い切れません。たしかにそのような見方もできるでしょう。

競争原理において、人間は自然と対峙する存在です。自然を克服するか、自然に負けるか。環境問題も、病気も、貧困も、食糧問題も、勝つか負けるか。

競争原理においては、私の考えは、私から見ると、常に善であり正義です。だから、とうぜん、あちこちで競合します。だから、勝つか負けるか、決着をつけねばならなくなります。敗者を作りたくないなら、双方が妥協するしかなさそうです。

競争原理においては、陰謀論が繁栄します。自分たちがうまくいかないのは、何者かのせいだ。それを、悪魔のせいにするか、現実の人間の誰かのせいにするか。

かたや、世界中で、古くから、そうではない原理がふつうに存在していました。人間も、世界の一部である。世界は、つながりによって、成り立っている。東洋のホーリズム思想が代表的ですが、東洋の専売特許でもありません。今でも、文明が未開の地では、上手に自然と人間が共生しながら、人間同士も競争原理でなく暮らしているところが少なくありません。

現代、私たちが普通だと思っている競争原理は、じつは人類の歴史においては特異なものなのかもしれません。

あまりに古く伝統的なホーリズム思想が、新しい思想であるかのように見られるのは、なんとも皮肉なことです。ディープエコロジーやら、トランスパーソナルエコロジーやら、持続可能な社会やら、循環型社会やら、ガイアやら、ホリスティックやら、いろんなキーワードが百花繚乱のごとしですが、まあ、だいたい似たようなことを言っています。

競争原理を中心とする西洋思想に対し、「もうひとつの」すなわちオルタナティブ思想という位置づけがなされるでしょう。そして、オルタナティブ思想に共通する原理は、こういうことです。世界は1つであり、人間も、その他の生き物も、自然も社会も、世界の中の部分である。部分は、すべてがつながり、全体を成り立たせている。これを一言でいえば、「調和原理」でしょう。

競争原理は西洋、調和原理は東洋と、安易に考えられることもしばしばあるようですが、そうも固定されているわけではありません。

いっけん、競争原理と調和原理は、相容れないように見えます。競争原理が現実の姿だと信じている多くの現代人には、調和原理が、旧き良き時代の神話だと見えるようです。

競争原理への傾倒が、文明を急速に発展させてきたことは、一面の真理があります。しかし、人間一人一人の力は微々たるものです。相乗効果を発揮してこそ、大きな成果を生じることができます。が、人々は、競争原理が現実だと信じている。だから、個人も社会も世界も、問題がどんどん複雑かつ解決困難になっていきます。そろそろ限界ではないかとさえ、思えます。だから、新しいパラダイムを模索する動きが活発になりつつあります。

その中で、調和原理が、オルタナティブとして注目されているのは、理解できないわけではありません。

しかし、調和原理もまた、現実の姿そのものではありません。

私の理解はこうです。
人間も、その他の生き物も、自然も社会も、世界の中の部分である。部分は、すべてがつながっている(ここまでは調和原理です)。
そして、つながりを断ち切ろうとしたり、変更しようとしたりする動きがたえず生じるがゆえに、世界は、調和を取り戻そうと働き続ける。結果的に、世界は創造し続け、成長し続ける。

一部を断片的に見れば、競争原理と見えます。全体を見れば、調和原理と見えます。競争原理が動的モデルなら、調和原理は静的モデルです。現実は、激しく振動するがゆえの静的モデルです。振動と言っても、単なる振動ではありません。○と×がたえず入れ替わるような、振動です。

世界は、じつに、創造に満ちています。

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