平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

モモナナじぇーぴー

メイン
創造の力

創造の力

[250]創造とは、調和を実現しようとすること

  

 

世界は、競争原理でもなく、調和原理でもなく、創造原理だと、書きました。

調和を破壊しようとする負荷がかかり続けるからこそ、調和がさらに成長していくのです。世界は全体として、たしかに調和が保たれているように見えますが、そこに生きている私たちの視点で見ると、調和がここにあるようには見えません。どうも、世界は競争の中にあるように見えます。弱肉強食が真実であるように見えます。

調和も競争もどちらも真実です。しかし、意味が違います。世界には調和しきった状態はありません。調和を目指し続けることが調和となっているのです。人間も、生物も、自然も、社会も、調和を破壊しようとする動きと、それを回復しようとする動きがたえず生じています。世界にたえず起こり続けている調和破壊活動を悪や不善と見なせば、それを回復する動きは正義や善となります。でも、調和を回復する動きでさえ、調和を破壊する一面があります。そして、調和破壊活動が別の調和破壊活動を回復する働きをしていたりもするのです。

複雑怪奇に見えますが、世界の「気持ち」を考えれば、理解できます。

調和破壊活動が、調和を破壊するだけであるなら、その活動を破壊すれば、破壊は終了します。しかし、破壊が終了してしまえば、世界は困ります。だって、創造も成長もできませんから。世界のすべての部分が、調和破壊と調和回復を同時にになえば、どうなるでしょう?

世界は、永遠に成長し、創造を続けていけます。

世界は、その仕組みとして、調和破壊活動が、調和回復活動の裏面としてたえず生じ続けるようにできています。

自然界をみても、そうでしょう。地震、雷、洪水、火山など、破壊的な活動もあります。これらによって、生物はダメージを受けます。それらの破壊活動がまた、山を作り、土を肥沃にし、生物を助けもします。

人間についても、性悪説と性善説とがありますが、どちらも正しいというのが現実でしょう。どんな人も、生まれながらにして、悪人でもあり、善人でもあります。煩悩や欲望は、調和破壊活動の側面があります。そのいっぽう、人間は苦しみからのがれたいとか、もっと良くなりたいという思いもあり、調和回復活動をせざるを得ません。

絶対的な善や絶対的な悪は、この世にありません。

調和回復と言ったって、世界に一律の調和をもたらすようなものではありません。世界の局所で生じたほころびを回復するものです。だから、調和回復活動が、べつの人から見て調和破壊に見えることも珍しくありません。

世界には調和破壊活動が必要だから、人間も悪いことをした方がいいとか、悪いことをしてもいいとか、そう考えるのは、常識的にもおかしいですね。

たとえば、火事があるから、消防が存在できるし、活躍もできます。では、もっと活躍するために、火事を増やそうとしたら、本末転倒です。医者が、もっと仕事を増やそうとして、病気を作り出したら、本末転倒です。

私たちは、調和破壊活動を増やそうなどと考えなくてもいいし、考えるべきではありません。いくら調和破壊活動をなくそうとしたって、なくなる「心配」はありません。私たちは、調和破壊活動によって幸せを手に入れられるのではなく、調和回復活動によってのみ、幸せを手に入れられるのです。

だから、調和回復は意志を持たねばやりにくいようにできています。

調和回復は、元の状態に戻すことではありません。結果的に、もとより良い状態が生じます。悲惨な被害をもたらす洪水や火山が、どれほど生物に恩恵ももたらしているでしょうか。調和回復活動は、新しい価値を創造する営みでもあるのです。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ