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[259]どこにでもある、自然なお姫さま

  

 

いんやぁ〜、『自然なお姫さま』いいですね。いつ読んでも、goodです。

ところで、じつは、『自然なお姫さま』って、ありふれたお話なんですよ。自分でない「自然」に、我が身も我が心もゆだねる。なんとも主体性のない、軟弱な生き方ではありませんか。

たとえば、「成り行き任せに生きている人」いませんか、まわりに。その人は、「自然」でしょうか?

その前に、他の昔話を考えてみましょう。

『わらしべ長者』
どうにもならない貧乏な男が、たまたまつかんだ1本のワラ。歩いて行くうちに次から次へと交換が生じて、最後は豪邸を手に入れました。
彼は、貧乏から抜け出る戦略をもって行動したわけではありません。ただ素直に、自然に身をまかせたのです。

『桃太郎』
桃太郎は、鬼退治に行くと決意したとき、武器もチームも何もありませんでした。値打ちのなさそうな「キビ団子」しかありませんでした。途中で、キビ団子が強力なチームを生じ、鬼を退治することができました。スタート時点では、勝利の方法を描けなかったはずです。かれは、自然に身をまかせたのです。

昔話の中には、自然に身をまかせることで大願を成就していくタイプのものが、非常に多いです。

日本だけではありません。世界の民話、神話、昔話も、かなり多くが、自然なお姫さまです。

人間は、未来を想像することはできますが、予定することはなかなかできません。予定するために、科学を使ったり、作戦をねったり、計画を立てたりします。人間の知恵とは、未来への恐怖との戦いであると言っても過言ではないでしょう。

そこで、努力や知恵が必要となってきます。

私たちは、予定できない未来を克服し、予定可能な未来を手に入れるために、努力をしています。お金を「貯める」ことも、未来への恐怖から始まったと考えられないでしょうか。他人を嫌うことも、嫉妬することも、人間の煩悩は未来への恐怖から生じていると見ることもできそうです。

かたや、宗教を含む多くの伝説や伝承は、そうではない生き方を説いています。素直に、ゆだねる。ゆだねる対象は、神、仏、自然、世界・・・

神や仏と言ったって、姿形のある存在ではないでしょう。なら、自然といってもいいのでは?

「無為自然の生き方をしているのだ」と自称する人もいますが、あまり自然ではなさそうに感じます。自然とは、どんな状況が目の前に現れても、素直に全力で対することです。「無為自然という状況」を維持するのは、自然ではありません。

それにしても、自然な生き方は、苦しく、困難で、厳しいものです。自分がどうなろうともそれを受け入れるということと同義ですから。

死にたくない、破滅したくない、もっといい思いをしたい、成功したいと思っている限り、自然なお姫さまにはなれません。

自然なお姫さまの生き方は、無謀です。だから、難しい。

でも、自然でない生き方は、なかなかうまくいきそうには思えない。いったんうまくいったようでも、その先で転げ落ちてしまう。せっかく手に入れた「成功」が、じつは自分の望むものではなかった。

だからこそ、人類は、ものすごく多くのお話を作って、昔々から自然な生き方を伝えて来たのではないでしょうか。

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