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創造の力
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創造の力[260]ヒーローと自然昔話や神話の多くが、『自然なお姫さま』になっていると、書きました。 以前にもふれましたが、世界中の神話の多くには、パターンがあると見出したのが、神話学者のジョゼフ・キャンベル。そのパターンをヒーローズ・ジャーニーと言います。 (1)Calling 天命を知る。 こういうヒーローは、勇敢な戦いを繰り広げて、勝利(成功)をつかみます。いっけん、『自然なお姫さま』とは真逆にありそうに見えます。主体性がなさそうな『自然なお姫さま』と、最強の主体性をもつヒーロー。 『わらしべ長者』も、ヒーローズ・ジャーニーではありませんか? どうにもならない貧困のなかで、観音様に願掛けをしました。そこであったお告げが、「なんであれ、かんであれ、つかんだものを離すな」(天命)。お告げを守るべく、歩き始めました(スタート)。ころんだひょうしにワラを1本つかんでしまいました。こんなものをつかんでしまい、万事休すです(限界点)。目の前のアブがうるさいのでワラにくくりつけたら、それを見た子どもがほしがり、ミカン3個と、初めての価値の交換が生じます(メンター)。次に、ミカン3個が反物3反と交換されました。死にかけた馬を助けるために、反物3反を提供します(怪物と闘う)。馬を助ける場面は、初めての自発的な行動です。どうしようもない貧困に苦しみ続けて来た男が、初めて自ら取引をオファーしたのです。このとき、男は、他者のために生きることに目覚めました(変容)。すると、何かの急用で馬を欲しがる者へ馬を与えることで、とてつもない豪邸を3年間、貸与されました。こうして、男の「試練」は終了しました。3年経っても持ち主は戻らず、男は、豪邸を手に入れ、ずっと住み続けました(帰還)。 なんと、どんぴしゃです。 しかし、私は昨日、『わらしべ長者』は『自然なお姫さま』だと書きました。 彼は、貧乏から抜け出る戦略をもって行動したわけではありません。ただ素直に、自然に身をまかせたのです。これは、依存ではありません。彼は、いったい何に身をまかせたのでしょうか? お話には、観音様が出てきて、お告げを与えます。しかし、その後は、観音様はでてきません。観音様に依存しようとしても、観音様は何もしてくれません。彼が身をまかせようとしたのは、観音様ではなさそうです。 桃太郎も見て見ましょう。 大きくなった桃太郎は鬼退治を決意します(天命)。おじいさん、おばあさんからキビ団子をもらって、旅に出ます(スタート)。しかし、彼には、鬼に立ち向かうような戦略がありません。いったい、どうやって鬼に勝とうというのでしょう?(限界点) やがて、犬と猿とキジにキビ団子を与えることで、チームを得ました(メンター)。そして、鬼と闘います(怪物)。そのとき、桃太郎は、1人の力ではなく、チームワークを駆使して闘いました(変容)。そして、勝利(試練の終了)。そして、帰還。 やはり、ヒーローズ・ジャーニーそのものです。 でも、桃太郎は、自然に身をまかせたのです。チームを得たのは、旅の途中であって、スタート時点では勝利の形をイメージできなかったはずです。どうやって闘ったらいいか、見当もつかなかったはず。もし、スタート時点の状態で戦いにのぞめば、勝ち目はないでしょう。彼は、勝算を持たずに、スタートしたのです。 |