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創造の力

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[263]権力が凶暴となる理由

  

 

20世紀の終わりごろから、世の中がおかしくなってきたと感じている人は多いでしょう。とくに、21世紀になって、ますます加速しています。

日本の政治の仕組みや社会の仕組みが変更されたわけではないのに、政治家、官僚、大企業、マスコミなどが、猛然と国民と対峙するようになりつつあります。かといって、特定の「黒幕」がいるわけではなく、国民と対峙する側にいる人々も、個々人は、意外にも温厚だったり、真面目だったり、誠実だったりします。

政治だけではありません。いじめが社会問題になると、学校や教育委員会が、国民と対峙する形になってしまいます。

311以降は、そのような、国民と「御上」の対峙が猛烈に加速しているように見えます。御上は、社会保障を切り下げ、増税し、原発事故を放置して再稼働という、善悪よりもプロセスとして考えられないような行動を取っています。もはや、国民に対して、牙をむいているようにも見えます。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?

たとえば、自分の家族に、重い病人や、重度の障害をもったや、重い認知症の人がいると、ほぼ家計は破綻に向かいます。働いても働いても普通の暮らしができない若者たち。結婚や出産が「ぜいたく」となりつつある世の中。未来への不安にかられながら生きている人々。

30年ぐらい前は、こんな世の中ではなかったはず。

何が変わったか?

企業は、終身雇用や年功序列や手厚い福利厚生で社員の生活を生涯にわたって守ってきました。地域社会にも、またはいろんなところに、人の関わりやつながりがあり、お互い様の助け合いが機能していました。私たちは、真面目に暮らし、自分のつとめを真摯に果たす必要がありましたが、そのかわり、過度の不安や恐怖に駆られることはまあなかったし、特別な事例をのぞいて、破滅や破綻も、そうは起きませんでした。

政治家も官僚も大企業もマスコミも、国民におおむねよりそっていて、今のように大きく対峙することはありませんでした。

昔はよかったという話をしたいのではありません。

私たちの意識や暮らしがどう変化したのか、考えてみます。国民と国家が、ダイレクトの関係になりつつあります。つまり、国民が、自分たちの要求を、国家へ直接まかせるようになってきています。教育で言えば、学校へ直接まかせるようになってきています。

昔なら、お互い様の助け合いでまかなってきた部分まで、個人対国家の関係に移行してきています。だから、教育や福祉や医療に膨大なコストがかかることになってしまいます。

個人対国家であろうと、個人対個人であろうと、どちらかが自分の要求をもう片方へ一任する度合が増せば増すほど、必然的に権力を強くしてしまいます。悪い奴がいて権力を濫用しているのではありません。私たちのニーズが権力を強くさせ、暴走までも引き起こしているのです。権力だけではありません。お金に支配される世の中になってしまったのは、私たち自身が、お互い様をどんどん減らし、国家へおまかせするからです。

いま、とくに日本では、国家は国民へ冷酷な仕打ちを向けつつあります。欧米諸国よりも、冷酷です。

ひどい話です。でも、善いではありませんか。変な言い方ですが。

なぜなら、私たちは、生きるため、今のやり方を変更せざるを得ないからです。国家が国民にやさしい政策を続ければ、国家への依存が許されてしまい、私たちは、ますます依存を強めます。依存は、限界が来ます。

自立とは、自力で何とかすることではありません。人々のために、自分は何ができるかと考えることです。自分の力で自分が生きていくことが自立だなどと現実離れしたことを考えるから、依存を強めざるを得ないのです。自立とは、稼ぐこととイコールではありません。自立とは、病気があろうと障害があろうとひきこもりであろうと、すべての人に可能です。

私たちが、自立していけば、国家へ依存する度合を減らせます。すると、国家は国民にやさしくなるでしょう。学校への依存を減らせば、学校は子どもたちに優しくなるでしょう。国家や学校への敵対心は、良い未来を生みません。優しい世の中にしませんか?

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