平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[266]問題のありか

  

 

私は自ら好んで田舎に住んでいます。多くの田舎は、急速に過疎化が進行し、消滅が避けられないほどの危機を抱えています。その問題を解決することは、たぶん、それぞれの田舎にとどまらず、世界へ波及するにちがいありません。

それにはまず、問題のありかを知らねばなりません。

問題を解決する方法は見あたりません。解決した人も、解決できる人も、見あたりません。なぜなら、現在の田舎の問題は、主として2010年ごろから顕在化してきたものなので、従来の考え方や手法はまず適用できません。というか、田舎に住んでいる人たちにとっても、未体験ゾーンです。

このような、「未体験ゾーンへの突入」は、田舎だけで生じているのではなさそうです。日本のすみずみにまで、あるいは世界のすみずみにまで、未体験ゾーンが広がってきています。

あらゆる場面で、既知のスキルや、既知の思考が通用しにくくなっています。

私たちには、新しく道を拓く覚悟と勇気が必要ではないでしょうか。もし、恐れるならば、時代の変化に押しつぶされたり、呑み込まれたりするかもしれません。

このような「創造」は、じつは、さまざまな形で、多くの人々が実現してきました。創造する内容が未知であって、創造というプロセスは、人類の伝統なのではないだろうか。そりゃまあ、未知だから創造なんであって、わかっていることを「創造する」なんて言わないだろうけど。

人類の歴史は、絶えず何らかの形で、未知との闘いだったのではないだろうか。人類のなかで、ごくわずかの人々が、道を拓き、多くの人々が、そこへついていった。では、道を拓く人々は、「選ばれし人」だったのだろうか。

私の疑問は、そこへ集中しました。

具体的に言うと、創造に必要なものは、
1. 生まれつきのもの(才能とか素質とか)
2. 環境(人脈とか、資産とか、社会的な立場とか、住んでいる場所とか)
3. 幸運

ようするに、この3つの条件は、いずれも、自分の努力ややりよう次第でどうにかなるものではありません。つまり、自分以外の、外的要因です。このような条件によって創造がなされるのなら、それはやはり「選ばれし人」の仕事であり、「凡人」には無駄な努力でしょう。

まあ、多くの人は、なんとなくそう思っています。そして、自ら創造しようなどとは考えようとしません。

では、創造の力を得たいと願うことは、「身の程知らずのうぬぼれ」なのでしょうか。ドンキホーテなのでしょうか。もし、そうであるなら、人生とは、あきらめることが最善だというのでしょうか。

私は、実際になんらかの創造を成し遂げた人たち、それがビジネスであれ、発明であれ、学問であれ、社会貢献であれ、どんな種類のものであっても、なぜそのようにできたのか、調べ続けました。

多くの人は、創造を外的要因によると考えています。しかし、成功者、すなわち創造を成し遂げた人たちは、例外なく、創造を内的要因だと強く信じています。

そしてまた、成功者の多くは、生まれつきの条件も、環境も、幸運も、みごとに持ち合わせていません。

私は、そう気づいて、大いなる希望を見ました。

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