平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[267]希望

  

 

これまで人類の歴史は、偉大な創造の積み重ねでした。

もちろん、戦争などの「破壊」もすさまじく重ねられてきました。でも、人類は滅亡していません。破壊しても破壊しても、それをはるかに上回る創造がありましたから。

で、その創造は、ごくわずかの人が道を拓き、おおぜいの人々が形をなしたのです。その、「先導者」は、どうやら、一般的な凡人よりもさらに凡人であることが多いようです。外的条件は、あまりよくありません。

彼らは、いったいどこが違ったのか。私にとって、最大の課題であり、それを見出すことに賭けました。4人の子を抱えて、生活が破綻すれば、親として、最悪の責任放棄でしょう。

私が見出した、「彼ら」との違いは、まさに、そこでした。

凡人は、リスクを恐れ、リスクを回避するために、努力します。成功者は、あえて、リスクをとります。凡人には、無謀としか見えません。だから、凡人は、彼らのことを変人とか、狂っているとか、さんざん馬鹿にします。

そしてまた、たしかに「彼ら」は、ながらく、不遇の日々を過ごします。凡人たちは、「それ見たことか」と、せせら笑います。

「彼ら」は、そんな嘲笑をものともしません。ここです。なぜ、「彼ら」は、いくら笑われても、馬鹿にされても、挫折しないのか。なぜ、進むことができるのか。

「彼ら」が偉業をなしとげる理由は、そこに集約されます。どうも、それ以外には何も見あたりません。多くの凡人は、「彼らは我々と違うのだ」と言います。「我々は彼らのようにはできないのだ」と言います。しかし、「彼ら」が成功をつかむときまで、凡人たちが「彼ら」を馬鹿にして見下しています。

恵まれた何かがあって、とんとん拍子に成功をつかむという事例は、現実にはありません。もし、そのような事例があるように見えても、それは成功ではなく、破滅への一里塚に過ぎません。

希望とは、じつは、絶望的な状況とセットになっているのではないだろうか。絶望的な状況のないところに、希望など芽生えるのだろうか。

希望とは、けっして、生ぬるいものではない。先の見えない、七転八倒の絶望の日々を果てしなく過ごした後にやってくるのだ。調べれば調べるほど、そのような結論に集約されていきます。

それならば、「彼ら」には、人並みはずれた精神力があったのだろうか。

いや、それも違うようです。「彼ら」は精神的にも凡人と変わるところが見あたりません。

しかし、「彼ら」は強い。ほれぼれするほど、強い。

「彼ら」は、負けない。嘲笑にも、絶望にも。

「彼ら」の力の源泉は、何だろう。

次の、私の疑問でした。

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