平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[270]達成不能だからミッションなのだ

  

 

「私はどう生きたいのか」つまりミッションを知れば、人生は無敵です。

すべての人間は、生まれながらに、自分のミッションを持って生まれてきます。そこに、人間の尊厳があります。生きとし生ける命がすべて尊いとしても、人間ならではの尊厳は、まさにミッションにこそあると思います。

人間は、好き勝手に、自由気ままに生きてよいわけではありません。それがダメだと言うのは、別に誰かに禁止されているわけではありません。法律に違反しなければ何をしてもよいかというと、そうもいきません。

「私はどう生きたいのか」が他人と競合するものであっては、なかなか実現しません。人間同士は、弱肉強食の競争社会で成り立っているという考え方もあります。私は、そうは思いませんが。

仮に、人間社会が、競争原理で動いているとしましょう。自分の願望を実現するには、他者に勝たねばなりません。私以外、あるいは私のチーム以外は、すべて、競合関係にあります。負けるわけにはいきません。勝つために全力を尽くします。もし、私が、人生の究極のミッションを実現しようとするならば、すべての戦いに勝ち続けないといけないでしょう。それができたとします。私は、たぐいまれな成功を手にしたとします。ところが、すでに、私の勝利と引き替えに、多数の敗者を生んでいます。彼らは、リベンジを狙い、虎視眈々と待ち受けたり、臥薪嘗胆、捲土重来の日々を過ごしていたりします。私の栄光は、まもなく、引きずり下ろされます。

勝つこと自体が容易ではありませんが、勝った後もリベンジの標的となり続けるため、よりいっそうの困難が待ち受けています。

競争原理では、勝者はなく、敗者のみであるといってもいいでしょう。

人間の社会は、ほんとうに、そんなふうにできているのでしょうか?

もしそうなら、ここまで文明が発達することはなかったはず。人間は、小さな力を寄せ合い、相乗効果で創造をもたらしつづけてきたのです。競争原理に見えるのは、ある局部をみるからそう見えるだけです。人間社会は、創造原理でなりたっています。たえず、何かを生み続けています。

生まれるには、産みの苦しみがあり、葛藤やあつれきや抵抗が必ず伴います。だからこそ、創造があるのです。そのあつれきだけを見れば、競争原理に見えます。しかし、それは、作用と反作用がエネルギーを生じ、何かが生まれる過程なのです。そこには、勝者のみがあり、敗者はありません。

人間が、みな同じ役割をもっていたら、葛藤やあつれきはないでしょうが、創造もなくなります。だから、人間は、多様でなければいけません。

つまり、それぞれのミッションは、それぞれでなければならないのです。だからこそ、自分のミッションが何であるかを他人に尋ねるべきではないのです。

ミッションは、自分が生きる羅針盤のようなものです。羅針盤は、地図ではありません。経路や目的地や経由地をもちません。いくらお金を稼ぐか、どんな家に住むか、どんな仕事をするか、どんなスキルを身につけるかは、地図の話です。

具体的な目標は、ミッションの過程です。ミッションに合わない目標を掲げたら、必ず失敗します。自分自身が、失敗するように行動してしまいます。

ミッションに合う目標を掲げたら、必ず、うまくいきます。引き寄せの法則とは、そういうことなのです。どんなものでも思うだけで実現するのではありません。自分のミッションに合うことを思うから、実現するのです。

どんなに長生きしても、どんなに努力しても、ミッションが達成されてしまったら、どうなるのでしょう?
人生、意味を失います。

それは困りますし、あってはならないことです。ミッションとは、達成されてはならないものなのです。達成可能なミッションは、ミッションとは言いません。それは、目標です。

では、ミッションとは、いったいどのようなものなのでしょうか。

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