平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[273]世界を救うという人生

  

 

どんな人間でも、世界を救うために生まれてきます。

などというと、「何ねぼけとんねん!」と言われそうですね。世の中には、悪い人がたくさんいるし、何より、自分自身が世界を救っているわけがありません。

前回、仏教から、2つのお話を紹介しました。

宗教で語られていることが、特別にエライお坊さんにだけ通用することであって、多くの人に関係ないなら、そんな宗教はなくてもいいでしょう。であるなら、あのようなお話も、普通の人々の文脈で理解するべきです。

私たちは、自分の人生をつまらないものだと思っていますし、自分はたいしたことができないと思っていますし、あまり悪いことをせずにすんだらまあいいだろうというぐらいに思っていますし、家族を守りさえすれば十分だなどと思っています。

世界を救うというのは、ウルトラマンや仮面ライダーのようなイメージではありません。世界に何らかの影響を与えているということです。

影響と言ったって、良い影響と、悪い影響があるのではないか?と言われそうですね。

ところで、「悪い影響」なんて、あるのでしょうか?

ヒトラーを考えてみましょう。どう考えても、彼がやったことは、「悪いこと」です。どう解釈しても、善いことにはなりません。彼が与えた苦しみは、絶大なものがあります。

そのいっぽう、ヒトラーの存在は、世界を震撼させ、あのようなことを繰り返さないためにはどうすればいいかを、世界中の人々が真剣に考えるようになりました。民族を迫害することが、どれほど怖ろしいことであるか。民族同士の争いや不仲をどうにかしようという意識が強くなったのは、ヒトラーの影響ではなかったでしょうか。

もし、世界の人々が、もともと民族を越えて仲良く暮らしていれば、ヒトラーは存在しなかったはず。ヒトラーの存在は、私たちに多大な学びを与えました。

行為はいくら「悪いこと」であっても、その影響は学びを与えています。

どんなに小さな人生であっても、生きている時の行いが善かろうと悪かろうと、世界に学びを与えています。つまり、すべての人生は世界を救うためにあると、私は考えています。

それは、悪いことをした人を免罪するものではありません。

前回紹介したお話は、行為としての理解と、意味としての理解が、違ったものであることを書きたかったのです。

悪いことをしたり、人に不快な思いをさせたら、当然、法の処罰があったり、他人から嫌われたりします。すべてが世界を救う人生だからと言って、悪いことをしてもいいという話にはなりません。悪いことをしても、世界を救いますが、自分がつらい思い、苦しい思いをするだけのことです。

なぜ、こんなややこしい話を持ち出すかというと、まさにこのことこそが、「創造」の要であるからです。

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