平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[275]創造原理は難しくない

  

 

世の中は競争原理で成り立っていると信じている人は多いでしょう。

競争原理とは、誰かが良くなることと、他の誰かが悪くなることが、トレードオフの関係にある原理です。誰かが儲ければ、誰かが損をする。誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる。ゼロサムゲームとも言います。合計がゼロになるという意味です。

合計がゼロであるなら、社会の発展も成長もないではないですか。いや、ある社会が発展するために別の社会を犠牲にするというのも競争原理でしょう。これって、現在生じている解決困難な問題の形そのものではありませんか。

それに対し、ある人が幸せになることは、世界中の人が幸せになることと同じだという原理も、昔から存在します。それは、非現実的なおとぎ話であると、多くの人は考えます。

ところが、どんな分野でも、偉大な創造を成し遂げた人は、じっさいに人類の歴史で多数存在します。ビジネスでも、創造と言えるような業績を残した人は、多数存在します。

こういう人たちが遺した言葉、または、じっさいに生きた人生を見て、どうも、競争原理とは違う道を歩いています。競争原理では、偉大な業績は遺せません。もし、「大きな業績」を遺そうとすれば、それと同等の「悲惨な状況」を新しく生み出してしまいます。これは、創造でも何でもありません。

ところで、創造原理がおとぎ話と思われている理由は、創造原理についての誤解があります。

創造原理に立てば、この世界からいっさいの苦しみや災厄がなくなり、すべての人が幸せに暮らせるという、そんな馬鹿なことが起きるはずがない。それはそうでしょう。そんなことは起きませんし、起きてもなりません。だって、世界から災厄がなくなったら、創造もなくなるではないですか。人類も世界も存在できなくなってしまいます。

創造原理をそのような滑稽な様相でとらえるのは、まさに競争原理の視点によるものです。

現実の世界は、無限に多様であり、何一つとして「そのまま静止」している存在はありません。あらゆるものが関係し合い、滅び、生じています。何かが滅びるときに、他の何かが関係すると、被害にみえます。この部分が、競争原理に見えるのです。

しかし、世界は、はるかな昔から、こわれることなく、成長し続けて来ました。人間もそうです。人類は、だんだん精神的に退化していると考える人もいますが、そうでしょうか?

のどかだった昔と違い、私たちは、世界に多くの宗教があり、多くの民族があり、私たちが経験したことのないような問題に悩む人々があり、多くの文化や歴史があり、科学の発達で、ずいぶん多くのことを知るようになり、利用できるようになり、その知識や技術を正しく利用することの難しさも大切さも痛感しています。これは、成長ではないのでしょうか。

創造原理とは、世界を平らにすることではありません。世界が成長している姿を見ることです。ただ、それだけです。

世界には、今後も、無限の災厄や問題があり続けます。

創造原理は、それをなくすことではありません。世界中の人が幸せに暮らせるという出来事を言うのではありません。すべての出来事は世界を救っているという「意味」を見ることなのです。

人類の歴史で、偉大な創造を成し遂げた人々が、凡人である我々と、どこが違っていたか。この原理で生きていたかどうか。どうもそれしか見あたりません。

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