平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[276]しかし、創造原理は難しい

  

 

前回、創造原理は難しくないと書きました。

競争原理は、幸せをもたらしません。社会の問題も解決できません。世の中は競争原理によって成り立っていると信じることは、不幸です。

競争原理を超えねばなりません。競争原理を越えたところにこそ、創造があります。創造は魔法でも何でもありません。人類に古くから備わっていて、ずっと使われ続けて来た、伝統的な知恵であり、力なのです。

私たちは、近代文明を急速に発展させようとして、ドツボにはまりつつあります。

競争原理を越えるには、競争でない世界観が必要です。それは、共産主義でもユートピアでもありません。世界の、あるがままの姿です。

世界は、世界を救うことで成り立ち、成長を続けています。成長するということは、個別に部分を見ると、葛藤や競合があるように見えます。何かが壊れ、何かができていく。人間は、自分の周りを見ると、競争原理に見えてしまうものです。

創造原理とは、単に自分の世界観を変えるだけのことなので、どうってことはありません。でも、そうすることで、自分にできることがどんどん変わっていきます。不可能に見えたことが可能となっていきます。不可能に見えたのは、競争原理ゆえですから、創造原理に立つことで激変するのはきわめて道理です。

ところが、創造原理は、容易ではありません。

なぜなら、合理主義的な思考ではとらえきれないからです。合理主義とは、物事を順序よく、筋道だって考えることですし、誰から見ても共通理解がなされるように構築することです。

これがくせ者なのです。誰から見ても同じであるような理論は、客観的だと思われるでしょうが、世界の姿ではありません。世界はたえず成長を続けているので、いろんなことが変わり続けています。

創造原理は、客観的な正義ではありません。人間の思考によって把握されるものであり、主観的な側面も多々あります。同じ出来事を、どのように受け止めるか。これは、客観ではありません。

そもそも、創造というプロセスじたいが、合理主義的なものではありません。Plan→Do→See→Actionというプロセスに載るものではないのです。計画を立てて実行できるような命題は、創造ではなく、事業です。そのようにできる対象は、そのようにすればいいだけです。

ところが、何をどうすればいいのかさっぱりわからないという命題も多く、そういったものは最初からプロセスに載りません。私が何とかしたいのは、この部分です。

創造は、プロセスや手順として示すことが不可能なのです。つまり、論理的に記述することができないのです。

だからといって、神秘的なばかりでもありません。最近は、脳科学のめざましい進展によって、従来神秘として扱われてきた部分が科学的に把握されつつあります。

とはいえ、創造は、合理主義的な思考では絶対に把握不可能です。科学が把握しつつある創造は、けっきょく、古来の人類の知恵を追認することとなりがちです。

古来の知恵を生かすことは、近年の文明を否定し、昔へ帰るという意味ではありません。文明の進展と創造は無関係です。どんな文明レベルでも、創造は創造です。

私たちは、合理主義的な思考に浸かりきっているために、創造を果てしなく難しく感じてしまいます。難しいものでないはずの創造が、近代文明の我々には難しい。

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