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創造の力
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創造の力[282]創造は、誰にとって可能なのか創造というものは、神や仏にのみ許された力ではありません。人類は、古い昔から、さまざまにその力を使い、人間の社会や文明を発展させてきました。 もちろん、好ましくない課題も噴出しています。しかし、課題が出てくるということじたいが成長であると考えることはできないでしょうか? 私たちは、問題が起きると、あきらめたり投げやりになったりするしかないように見えても、それでも何とかしようと必死になります。もがいてもがいて、ますますひどくなるように見えても、それでも何とかしようとします。人は、どたんばにおいては、競争原理から離れてしまいます。競争しようにもできない状態ですから。だから、どたんばでは創造が起きやすくなります。 どたんばとは、困難な問題が行き着くところまで行ってしまった状態です。 さて、創造は、誰にでもできることなのでしょうか? それとも、できる人とできない人がいるものなのでしょうか? 多くの人は、創造を特殊な力だと思っています。だから、特殊な能力や環境がないと創造をできないと思っています。自分はふつうの人なので、創造など不可能で、まったく無縁だと思っています。 じつは、その思い込みこそが、創造を妨げる唯一で最大の要因なのです。 創造とは、潜在意識を活用することであり、人類の歴史や人類の知恵をどんなに調べても、次の5つの条件に集約されます。 1. 理屈で考えない。 では、この5つの条件を1つでもできない人とは、どんな人なのでしょうか? 何の能力も環境も関係ありません。人間として生きていれば十分です。 そのようにしない人はたくさんいますが、できない人は、誰もいません。 人類の歴史で、創造をつかって偉業を成し遂げた人たちは、エライ人たちでも、恵まれた人たちでもなんでもなく、ふつうの人たちでした。ただ、この5つの条件を実践しただけです。 なかでも、「自分にある無限の可能性を信じる」ということが、最も難しく、最も肝心のように思えます。これを信じられないから、理屈で考えてしまうのだし、未来ではなく現在に固執して競争原理にはまってしまうのだし、今日すべきことをせずに、関係ないことを欲張ってしまうのです。そしてなにより、世界への愛を持てない理由は、自分をダメだと思っているからこそです。 「できない」「わからない」「難しい」という3つの言葉、私たちは、意識せずとも、頻繁に使っています。私は、この3つの言葉が悪魔のささやきではないかと考えています。 その証拠に、創造の力を使う人は、この言葉をめったに使わないはず。この言葉を使わないのは、能力があるからではありません。自分を信じているからです。そして、そのことは、人々を動かし、世界を変える力を秘めていると考えています。 そうですね、オバマ大統領の言葉、"Yes, we can!"は、この3つの言葉の否定ではありませんか。 さて、理屈はそうだとしましょう。では、世界で最も能力にも環境にも恵まれないと思われている人々が、偉大な創造を成し遂げるでしょうか? |