平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[284]どのように創造をなすか

  

 

私は、インターナショナルスクールを、京都南部の山の上につくりたい。

それは、現在の世界から疎外されている、つまり、最も難しい問題を抱えている人々とともに、創造を為すためです。世界のリーダーを育てるとか、何か特殊なことを教えるとか、そんな考えは、まるでありません。他の「インターナショナルスクール」は、そのようなものを目指すことが多いようですので、そちらへおまかせします。

私が対象と考えるのは、さまざまな国の、どたんばにいる人々です。問題の内容は様々でしょうが、解決困難であることは共通しているでしょう。

解決とはどのような状態なのか、ということさえ、見通せないかもしれません。難しければ、難しいほど良い。そこに、大いなる創造があるはずです。

現在、世界は行き詰まりを露呈しています。民主主義も、資本主義も、議会制度や行政も、貨幣経済も、今のままで21世紀へ続いていけそうに見えません。新しいパラダイムを必要としています。それは、ある意味、たいへん危険でもあります。独裁政治や全体主義を生み出しかねません。そのことによる惨禍を、人類はイヤというほど経験してきました。

新しいパラダイムといえど、何もないところからひょっこり生まれるのではなく、現在の問題を何とかしようとする過程から生じるものであるはずです。

何があっても、暴力はいけません。誰かを犠牲にするような問題解決もいけません。競争原理を越えねばなりません。

それは、天国やユートピアなんかではなく、人間の苦悩や悲しみが次々と生まれているまさにこの世なのです。人間にとっての苦しみや悲しみがなくなることはありえません。そうではなくて、すべての人が、自分の人生を生きられるような世の中が、少しずつ実現されていくのではないかと思います。

それは、何かの手法や理論によってなし得るわけにはいかないでしょう。創造とは、きっと、そのようなものではない。

かといって、宗教でもないでしょう。「自分の無限の可能性を信じること」は、ある意味、信仰でしょうし、精神的な力は必要です。しかし、特定の神や仏、特定の教義のみが人間を救うという思想は、とても怖ろしいですし、まさに競争原理そのものです。

キリストさんや、お釈迦さんや、マホメットさんは、果たして、「宗教」を作ろうとしたのでしょうか? 信仰の大切さは、確かに説かれたでしょう。しかし、宗教というセクトを作ろうとされたのでしょうか?

もういいかげん、競争原理を越えようではありませんか。何度も言いますが、共産主義やユートピアを目指すのではありません。かといって、権力や大富豪を「悪」と見なして闘うのでもありません。

私たち1人1人が持つ、無限の力を、相乗効果として活用しませんか?

その発起人には、磁場が必要です。それは、おそらく、どたんばにいる人々が、持っています。

まず、どたんばにいる人々が、お互いの問題を持ち寄って、研鑽します。創造は、1人の人間が瞑想によって為すか、複数の人間がブレインストーミングのような形で為すかのいずれかに集束するでしょう。

近代の学校教育は、先生が生徒に「教える」という形が基本です。これは、最も創造から遠い形です。

ギリシア最盛期、ソクラテスは、「問いを発する」ことで、人間の潜在意識、潜在力が持つ力を引き出そうとしました。もちろん、近代の学校教育がやるように、知識を学び、吸収することも大事です。しかし、創造には、ソクラテスのようなやり方が、不可欠です。

それがもっとも効果的にできるのは、どたんばにいる人々による、ブレインストーミングではないかと考えています。そして、ブレインストーミングは、ただ単に頭を使うだけでなく、寝食をともにし、野外での活動を共有することによって、加速するのではないかと、私は経験的に考えています。

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