メイン
創造の力
|
創造の力[286]21世紀のパラダイムはすでにある既存のパラダイムとは、「国家への委託」だと私は見ています。 安全、医療、教育、経済、雇用、ライフライン、住環境、社会の安定など、かなりの部分を国家へおまかせしています。納税し、国家への義務を果たすことで、当然、リターンを受けられるものと信じています。 たしかに、つい最近までは、そのように世界が動いてきました。 でも、ここへ来て、急速に歪みが露呈してきています。国家への委託が間違いであったと考えるのは早計でしょう。今まではそれで良かったのですから。 なぜ、それが行き詰まるかというと、グローバル化によるものと思われます。つまり、今までは、国単位で政治も経済も社会もどうにかなっていたのに、国家を越えた動きがふつうになってくると、国家がうまく機能しなくなるのです。 グローバル化は、新自由主義による弊害だという考えもありますが、私はそうは思いません。 第二次世界大戦後、国連を中心とする枠組みが、遅々たるペースながらも進んできました。国連には深刻な不足や欠陥が多々あります。現実は、○か×かのデジタルではないでしょう。×と○の間に、無限のグラデーションが存在します。 航空機により、人やモノの移動はシームレスとなりつつあります。インターネットにより、情報にも国境が無くなってきました。貨幣経済も物流も、加速して国境を無意味化しています。すると、国家が担保してきたシステムが障害になりつつあります。 国家への委託が機能しなくなってくるのは、必然でしょう。「悪い黒幕の陰謀」ではありません。 しかし、私たちは、国家への委託を撤回していません。だから、解決困難な問題が噴出するのでしょう。 では、新しいパラダイムとは、どのようなものであるのか? 国家への委託を改めるということが、即、国家の否定にはつながりません。国家が必要か不要か。デジタル思考は現実ではありません。必要と不要の間に、無限のグラデーションがあります。 人々が、自分が主役となって自分の人生を生きるというのが、次世代のパラダイムではないでしょうか。 自立と解することもできるでしょうが、何もかも自力でやらねばならないという意味ではありません。 自分の人生の選択権を自分が持つという意味です。すると、自分の人生には、自分が責任を持たねばなりません。私は、私の人生に責任を持って私の人生を生き、世界へ参加する。良い世界を創るために、人々と力を合わせて、努力をする。そんなパラダイムではないでしょうか。 時代が変わるには、ある日突然、新旧が入れ替わるということはあり得ません。どんなに突然に見えるとしても、新しい時代と古い時代が併存する時期があって、徐々に新しい時代が育ち、あるとき、一気に入れ替わるのです。 今すでに、新しいパラダイムは始まっています。国家への委託をやめて、自分の人生を責任を持って生きようとする人々が、あちこちに育ちつつあります。 |