平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[292]誰でも世界を救える

  

 

「世界を救う」などと言うと、とんでもない大ごとのように聞こえるでしょうか。

だとすれば、大きな誤解があります。

世界を救うことは誰にでもできますが、世界を救い終えることは、絶対誰にもできません。「世界を救う」ことを「世界を救い終える」と誤解すれば、世界観がひっくり返ってしまいます。

「世界を救う」のは、最も謙虚な生き方ですが、「世界を救い終える」のは、最も傲慢です。

自分の身近な人たちの幸せや成長を願って、自分の仕事や日々の生活を一生懸命つとめていく。幼い子どもが、「こんにちは!」と元気にあいさつする。余命幾ばくもない人が、人生をまっとうしようとする。そういう行為は、世界からかけ離れた小さな出来事に見えるかも知れません。

でも、彼らは、特定の誰かだけの幸せを願っているのではありません。たまたま近くにいる人たち、つまり、縁のある人たちが数人だったり数十人だったりするだけのことです。

もし、一国の首相や大統領が、自国の幸せだけを望んでいるなら、それは世界を救いません。幼い子どもの「こんにちは!」ほどの偉大さがありません。つまり、どんなに大きくとも枠を設けて、その中だけを考えるなら、競争原理です。どんなに小さくとも、枠を設けないなら、創造原理です。

学校で勉強する子どもたち、何のために勉強するのでしょう? 「一生懸命頑張れば、あなたの将来のためですよ」と言われ続けていませんか?

それは、まさに競争原理です。自分のために勉強したって、自分のためになどなりはしません。

一生懸命勉強するのは、世界の人々を幸せにするためです。だからこそ、どこまでも一生懸命になれるのです。それこそが、自分をも最大限に幸せにします。そこには競争原理はありません。

これは、私が勝手に言っているのではありません。

ビジネスで大成功した人も、何かを成し遂げた人も、異口同音にそう言っています。自分のために何かをして何かを成し遂げたなどという話は見かけません。

世界を救い終えることは、あり得ません。どんなに偉大な人間でも、手の届く範囲、縁のある範囲のことしかできません。たまたま、今はその人たちに働きかけをしているだけのことであって、それは世界を救うことの過程です。

大事なことは、枠を作らないということです。私たちは、知らぬ間に枠を作り、内と外、あれとこれ、などと区別をしてしまいます。すると、競争原理です。人間以外のどんな生き物も、そんな枠は作っていません。

人間は、枠を作り、競争原理に自ら落ちていきます。人間とは、そんなにも罪深い存在なのでしょうか? 人間とは、そんなにも愚かな存在なのでしょうか?

私は、そうは思いません。枠を作ってしまい、競争原理に落ちることもできるなら、競争原理を越えて、創造を成し遂げることもできる存在なのです。人間にとっての競争原理とは、それを越えていくためにあるのではないかと思えます。

世界を救うことは、「何かをすること」ではありません。私にとって世界を救うことと、あなたにとって世界を救うことは、まるで違ったものであるかもしれません。どちらも、世界を救う過程です。何度も何度も検証し、お互いに歩んでいこうではありませんか。

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