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創造の力

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[293]道を拓く快感

  

 

私は、標高500メートルの山の上の集落に住んでいます。2010年ごろから、急速に過疎化が進行し、近い将来、消滅が避けられないのではないかという状況になりつつあります。

田舎には、何もないと、地元の人々は言います。以前なら、薪でも炭でも農産物でもキノコでも、山にあるものがふつうにお金になっていたのに、今や、お金になる「資源」が見あたりません。かといって、地域の商工業も壊滅状態ですし、通勤圏内の雇用も激減しています。

だから、「森」など、まったく無価値です。スギ、ヒノキといった植林も、もはや経済価値はなく、公共事業として補助金を得て細々と間伐をしている状況ですし、自然林は薪にも炭にも椎茸の原木にも材木にもまったくの無価値で、だれも見向きもしません。

里山など、遠い昔のおとぎ話のごとしです。

と、こんな感じで地域の人々は見ています。都市の人々も、田舎の森になど、価値を見ようとしていません。地球温暖化対策だのなんだの、机上ではあれこれ理屈を垂れたところで、現実は何も動きません。

さて、人々が見向きもしないところにこそ、大きな可能性があるのではないかと、私たちは考え、集落の最も奥の自然林の価値を見出そうと、試行錯誤を始めています。

積水化学工業さんとのモデルフォレスト活動、生活クラブ生協大阪さんとの森づくり活動が、2008年から継続中です。

森へ都市の人を呼びたいと、2007年秋に構想を語ったところ、地域の人たちから、笑われました。「森になんか、人が来るもんか!! あほかいな!!」

まあ、そうでしょうね、ふつうに考えたら。

でも、来ましたよ。数十人単位で、何度も何度も。他の団体も、個人も、いろいろと森へやってきました。延べ、1000人は越えています。大人も子どもも、男性も女性も、幼児も後期高齢者も。大丈夫です。彼ら、彼女らは、しっぽはありません。人間です。間違いありません。

「仙の森」と名づけたこの森は、何の変哲もない自然林です。どこにでもあるような、ふつうの森です。

来るはずのない森へ、なぜ、人々は来るのでしょう?

私は活動を共にしつつ、彼ら、彼女らの行動や言葉を注意深く観察してきました。

彼ら、彼女らが求めているのは、どうやら、「道を拓く快感」のように見えます。チェーンソーや草刈り機はほとんど使わず、おおむね、ノコギリと鎌で、間伐、除伐、草刈りをします。およそ、効率がよいとは言えません。森林保全とは、適切な間伐を指しますが、たまに来て素人が手でできる範囲はたかが知れています。

彼ら、彼女らの多くは、リピーターです。

手入れされず、放置された森は、うっそうと茂り、草ボウボウです。そこに、人が入ります。草を刈り、木を間引きます。暗い森に、日が差します。ごく短時間で、景色が変わります。これはこれは、たいへんな快感ですよ。

森と言うと、癒しをイメージされるかも知れませんが、真の森の魅力は、違うところにあるようです。

景色が変われば、意味が変わり、世界が変わります。それを他の人々とシェアしたくなります。

私が、こんな山の上にインターナショナルスクールを創りたいと考える原点が、森にあります。破壊と創造。キーワードです。

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