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創造の力

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[301]選択による苦難

  

 

『選択の力』(シーナ・アイエンガー、文藝春秋)は面白い本です。

選択は人間に可能性を拓き、生きる力を与えます。創造そのものとも言えます。が、人間から生きる力を奪う選択もあり得ます。

あなたには、危篤状態の幼い子がいます。延命治療を中止すれば、即、死亡します。治療を続けた場合、死亡する確率は40%で、残り60%は生存できるが生涯植物状態とのこと。

1. 医師はあなたに情報を知らせず、選択もさせない→延命中止
2. 医師はあなたに情報を知らせるが、あなたに選択させない→延命中止
3. 医師はあなたに情報を知らせ、あなたに選択させる

自分が選択権を持つには、情報を得る必要があります。選択が「人間にとって善いこと」であるならば、3が最も幸せなはずです。しかし、3が最も苦しいそうです。どちらを選択しても、子どもにとって「良い選択」とは思えません。親が、その責任を負います。その葛藤に、生涯苦しみ続けるようです。

2の場合が、最も「幸せ」だそうです。医者が代わりに選択してくれた。親は、その結果を受け入れるしかありません。神に召されたのであろうと、極楽浄土へ行ったのであろうと、それが最も良いことなのだと、自ら得心しやすくなります。

なんと、選択は難しいのでしょうか。

この話を読んで、私はすぐに『被曝治療83日間の記録』(NHK取材班、岩波書店)を思い出しました。

1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設(原発で使う燃料を作るところ)で、日本で初めての臨界事故が起きました。そこで作業していた2人が高度に被曝し、亡くなりました。先に亡くなった大内さんが、被曝してから亡くなるまでのドキュメントです。あまりの壮絶さに言葉もありません。

最初は、「ちょっとしたやけど」に見えたものの、20日を過ぎたあたりから、激変しました。細胞が再生しなくなるので、古い細胞が役目を終えた時点で、新しい細胞ができません。皮膚や粘膜が無くなっていきます。それが、どれほど凄惨な状態であるか、想像できるでしょうか?

大内さんは、やがて意思表示ができなくなっていきます。治療チームは、絶対に回復しないとわかっている大内さんに延命治療を施すことの意味を見失いつつ、延命によって、とてつもない苦痛を与えているのではないかと逡巡しつつ、最後まで、手を尽くします。

死亡時の解剖によって、あれほど身体がボロボロになりながらも、心臓だけはなぜか被爆の影響を受けていませんでした。大内さんの、生きようという意志の表れではないかと、受け止めたとのことです。

人の命に関わる選択は、あまりに重いです。自分の命ならまだしも、他人の命の選択権が自分に任されているとき、あまりに重い責任を負います。しかし、なんらかの選択をしなければならない。

シーナ・アイエンガーさんは、そういうときは選択を避けて他人へゆだねることも検討すべきではないかと言っています。そうかもしれません。

しかし、それでも、選択権を持ちたい。自分の選択に「意味」を見出せたなら、その選択を良しとできるはず。意味とは、人生における物語です。その物語は、一貫している必要があります。一貫しているからこそ、強いのです。

すると、前回お話しした、膨大な情報を体系化して処理する必要が出てきます。どんな情報も矛盾なく、一貫性を持たせます。すると、その一貫性は、「世界を救う」というバリエーション以外にはあり得ないこととなります。

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