平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

モモナナじぇーぴー

メイン
創造の力

創造の力

[305]なぜ、この世には悪があるのか?

  

 

なぜ、この世には悪があるのでしょうか?

どの宗教も、神とか仏とか、絶対的な善の存在を信じています。同時に、悪魔とか、魔王とか、絶対的な悪の存在も信じています。神仏は人間を導き守るけど、悪は人間を狂わせ、不幸にします。善と悪のせめぎ合いによって、この世の現実が説明されています。

科学は、絶対的な善の存在を認めないし、絶対的な悪の存在も認めません。この世の現実は、「発見された法則」によって説明しようとします。説明できない現実については、何とかして法則を発見して説明可能にしようと努力してきました。

宗教では、この世の現実は、神仏や悪によって与えられており、私たちにはあまり選択の余地がなさそうに見えます。
科学では、この世の現実は、すべて人間がどうにかできるはずであると考えられており、私たちの選択の余地は無限であるように見えます。

しかし、宗教の呪縛を脱して、極度に科学を発展させた21世紀、私たちはとてつもない自由を手に入れたのかというと、素直にうんと言いかねます。

『選択の科学』で、著者のシーナ・アイエンガーさんは、選択の力や限界について、興味深い報告をされています。

選択可能であることは、生きる意欲に直結する。じっさいに選択可能であるかどうかではなく、選択可能であると信じることが結果を大きく変える。
逆に、多すぎる選択肢は、選択不可能と変わらない。選択肢は7つまででないといけない。
選択が大きな代償を伴う場合、選択することが精神破壊をもたらすこともある。選択を放棄するという選択も重要だ。
共産主義が崩壊して民主主義へ移行した国では、民主主義を自由でないと感じ、共産主義の方が自由だったと感じる人々が少なくない。
厳格な宗教を信仰している人の方が、自由に生きている人より生きがいを持っていることがしばしばある。
自分の人生を自分で選択する人より、自分の人生を決められてしまっている人の方が、幸せを感じていることがしばしばある。

選択は、複雑ですね。
選択というからには、何か基準があるのでしょう。あなたは、何を基準に選択しているでしょうか?

どのジャムを買うか?というような選択は、あまり難しくないし、代償もとくにないでしょうし、まあ、どのジャムを選ぼうとも、そんなに変わるものではないでしょう。

しかし、人生に影響を与えるような選択の場合、どうでしょう?

選択の基準がなかったり、弱かったりすると、とても選びにくいでしょう。代償も大きいでしょう。すると、怖い。だれかに選んでもらう方が、気が楽です。そもそも社会や組織のルールで決められているとか、親が決めてしまうとか、権威ある人が決めてしまうとか。または、占いに決めてもらうとか。

シーナさんが言う、選択の難しさは、基準の弱さに原因があるのではないかと思います。基準が強くあるなら、選択肢がいくら多かろうとも、代償がいくら大きかろうとも、自分で決められます。

さて、宗教が絶対的な善と、絶対的な悪を配置するのは、基準を提供していると考えられないでしょうか。宗教が選択の答えを決めているのではなく、選択の基準を提供していると。

「神が、なぜ悪の存在を許しているのか?」という問いへの答えは、なかなか難しいです。神仏が絶対的な善で、絶対的な存在なら、悪など消してしまえばよいではないか。そもそも、最初から作らなければよいではないか。そうすれば、我々は、何も苦しまなくても良いのに・・・

なるほど、もっともな話です。悪など、なくてもいいでしょう。ただし、あらゆる選択が不可能となるでしょうが・・・

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ