平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[307]世界を救うことは自己犠牲なのか?

  

 

選択の力を活用するには、基準が必要です。基準無しに選択はできません。

人生に関わる選択の場合、その基準はそれなりに大きく強いものでないと、選択しようがありません。基準がないなら、私の人生でありながら、誰かに選択をゆだねるしかありません。これからの時代は、そのような「選択の委託」が通用しにくくなっていくでしょう。とういか、すでになりつつあります。

近年ますます閉塞状況が強くなっているように感じたり、解決不能に見える問題が噴出したりしているのは、選択に問題が生じているのではないかと、私には見えます。

どうにもならない状況をどうにかするには、創造という概念が必要です。しかし、創造は魔法ではありません。私たちは、見えている限りのことしかわからないし、7つ以内の選択肢でしか選択できないし、しかも私たち自身がもつ選択の基準内でしか選択できません。

しかし、現実の世界は無限に多様で、無限と言える選択肢があります。私たちには、理解不能だし、選択も不能です。だから、世界が広くなるほど、解決困難な問題が増えていくように感じるのではないでしょうか。これは、人類が後退しているのではなく、進歩している証ではないかと思います。

無限に多様な世界を理解し、無限に多様な選択肢を自由自在に駆使できれば、すばらしいではないですか。何も、特殊な能力ではなく、私たちのあるがままで、選択をする。それこそが、創造の正体ではないでしょうか。

多くの人から見ると、何が起きたかわからないでしょうし、なぜそうなるのかもわからない。だから、奇跡か魔法のように見えるでしょう。

無限に多様な世界を理解するには、右脳的に、ざっくりとイメージで把握することだけではありません。そのような理解は、現実への応用が生まれにくいです。その証拠に、近代文明を爆発的に発展させたのは、ホーリズム思想を持つ東洋ではありませんでした。

右脳が全体をざっくり把握する能力だとしたら、左脳は、現実へ落とし込む能力とは言えないでしょうか。

少し前に書きましたが、人間は、7つの選択肢を越えると、思考停止をもたらします。それを越えて行くには、階層思考が不可欠です。7の10乗は282475249(3億弱)です。つまり、10段階の階層を作れれば、約3億の選択肢を扱えることになります。15階層まで行けば、約5兆です。

これは、ものすごい能力ではありませんか。

さて、問題は、どのようにして、こんな階層を構築できるのでしょうか? じつは、階層思考と選択基準は、同じことではないかと私は考えています。

というのは、重要な問題での選択が難しくて怖いのは、不確定要素があまりに多く、不確定要素による影響があまりに大きいからです。誰かに選択してもらったら、その結果を「仕方がない」とあきらめて受け入れるか、選択してくれた人に恨み言を言い続けるか、いずれにせよ、選択の責任を自分が負わなくてもいいです。でも、本当に私にとって最善な選択を他人がしてくれる可能性はほとんどありません。

やはり、幸せになろうと思えば、選択の責任を私自身が負うことが不可欠です。

階層思考は、最上部から作らねばうまくいきません。最上部に何があるか。つまり、世界のシンプルな原理が何であるか。どう考えても、「世界を救う」ということに尽きます。

世界を救うという原理を最上部に置けば、世界のすべてを階層構造に配置することが可能です。どう考えても、世界を救うという原理からはずれるものは、この世にはありません。

でも、私たちは、世界を救うと言えば、自己犠牲を思ってしまいます。なぜなのでしょう? それは、階層思考をしていないからです。つまり、世界のごく一部しか見ていないから、選択への恐怖が自己犠牲という錯覚を見せてしまうのだと、私は考えています。

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