平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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[312]価値と意味の罠

  

 

価値とか、意味とかいう言葉を、私は多用しています。

ちょっと気をつけていただきたいのですが、このような言葉は、ある意味、危険です。

たとえば、宗教は、価値や意味を示そうとします。科学は、仕組みを示そうとしますが、価値や意味にはあまり立ち入りません。なぜかというと、価値や意味は、主観的な概念であって、必ずしも他の人と共有できるとは限らないからです。

ある人に価値のあるものが、他の人には価値がないというのは、ごく普通のことです。同じ人にとっても、状況によって価値があったりなかったりします。

たとえば、もし私が海の上で何日間も漂流しているなら、「水」には命に匹敵する価値があります。でも、水が豊富にある日本の山に住んでいる現在は、私にとって水はお金に換算できるほどの価値がありません。

ある人にとって何の価値もないモノが、別の人には大きな価値があるというのは、重要なことです。世界は無限に多様であるので、どんな人にとっても、どこかの誰かにとっての価値を生み出すことが可能です。

しかし、私たちは、価値や意味を固定して考えがちです。つまり、「客観的な価値」や「客観的な意味」、もっといえば、「世界共通の普遍的な価値」や「世界共通の普遍的な意味」を求めようとしがちです。それが、危険なのです。

私にとっての価値は、誰にとっても価値である。私にとっての意味は、誰にとっても同じ意味である。これは、せっかく世界が多様であることを否定します。

世界が多様であるのは、非常に重要なことですし、それこそが、世界が世界である理由ですし、世界が世界を救うことができる秘密でもあるのです。

多様というのは、「違いがあってもいい」とか「違いを認める」などという理解では対応できません。多様とは、宝なのです。価値や意味が無限に多様であるからこそ、私は無限の可能性をもつことができるのです。もし、世界に多様性がなく、一様であるならば、私は1つのことしかできないでしょう。
私がどんなに無力で、どんなにみすぼらしい境遇にあろうとも、世界が無限に多様だからこそ、価値も意味も無限であり、可能性、すなわち選択肢も無限なのです。

「世界を救う」というのが世界の原理だと、私は常々言っています。なぜ、世界を救うことが可能であるかというと、世界が無限に多様だからこそです。ということは、世界を救うという現実さえ、無限に多様なのです。私が考える「世界を救う」事象だけが世界を救うのではありません。

世界を救うとは、世界の多様性そのものでもあります。多様であることは、空間的にも、時間的にもです。すなわち、今現在、世界が多様であるのみならず、世界はあらゆる存在が常に生住異滅を繰り返し、何一つ、安住するものがありません。時間軸で見ても、あらゆる多様性があるのです。

人間は、多様性を主体的に生かすことが可能です。いっぽう、多様性を自ら否定することも可能です。

競争原理は、多様性の否定であり、現実世界の否定です。でも、競争原理に生きる我々でさえ、不可思議な世界の多様性の中に生きています。競争原理が妄想であることを、世界の多様性の中から、それぞれが学びつつあります。それが、現在起きている、解決困難な問題だと考えられないでしょうか。

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