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創造の力

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[313]世界を救うという普遍性

  

 

価値や意味には、固定的な普遍性はないと、前回、書きました。

ちょっと考えれば当たり前のはずなのに、私たちは、不思議なことに固定的に考えがちです。それは明らかに妄想であって錯覚なのに。自分にとっての価値は、他人にとっても価値であると。競争原理とは、そんなところから生じているのではないでしょうか。

「人それぞれ」というのは、じつに素晴らしいことです。価値も意味も人それぞれであるからこそ、競争ではなく、「お互い様」が成り立つのです。どんな人も、必ず、誰かの役に立てるし、誰かを幸せにできる。価値がない人間、意味のない人生など、あり得ません。ある面から見ると、価値がなかったり、意味がなかったりするかもしれません。しかし、世界は無限に多様なのです。あなたを必要とする人が、必ず存在します。すばらしいではありませんか。

私は、これまで、世界には「世界を救う」という普遍的な原理があると、言い続けてきました。いままで、あまりはっきり定義せずにきましたが、普遍的な価値や意味などない世界に、普遍的な原理があるとは、どういうことなのでしょうか?

「普遍的」とか「絶対の」という表現に、拒絶反応を示す方がおられます。私はその感性をまっとうであると思います。世界には、普遍とか、絶対などというものは、あるはずがないのです。世界に普遍や絶対があるという考え方が、いかに不幸をもたらしてきたか。

おかしな言い方になりますが、「普遍などない」ということが普遍性なのです。世界のあらゆる存在は、1つとして同じものがありません。すべてが違っています。だからこそ、すべてに共通する価値や意味などあり得ません。じつはその「あり得ない」ということが、普遍的なのです。

世界は無限に多様であるということは、いっさいの普遍性や絶対性を否定します。普遍性や絶対性がないということが、世界の真理であり、原理なのです。

私たちは、普遍性とか絶対性とかいう言葉を、どうしても具体的な普遍性や絶対性と考えがちです。世界に、具体的な普遍性や絶対性があっては困ります。世界の破滅です。

世界は、何も普遍性や絶対性を持ちません。その事実こそが、普遍的な原理なのです。

その原理が何の役に立つのでしょうか?

世界のあらゆる存在が、世界を救うことができます。絶対的な多様性、絶対的な普遍性が、そうさせるのです。すべてが異なっているという普遍的な原理が、あらゆる可能性を生じ、あらゆる創造を可能にします。

世界を救うという表現は、正義の味方が人類を救うというイメージとは対極にあります。正義の味方などは存在しません。正義というものが存在しないのです。いや、ある人にとっての正義とか正義の味方はあり得るでしょう。しかしその正義は、とても限定的な概念です。

私たちは、「普遍的な価値」や「普遍的な意味」、すなわち「普遍的な正義」があると信じ、壮絶な虐殺や殺戮や戦争を繰り返してきました。ホロコーストでさえ、「普遍的な正義」を信じる行為ではなかったでしょうか? すべての戦争は、正義の名のもとに行われます。しかし、しょせんは殺戮です。

今、世界は国境を越えて、つながろうとしつつあります。私たちが思い描いてきた価値とか意味とかが、揺らいでいます。世界が混乱に陥っているように見えます。よいではないですか、それで。

世界を救うというミッションは、世界が無限に多様であることへの感謝です。それこそが、神や仏の正体ではないでしょうか。

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