平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[319]かけがえのない私へ

  

 

21世紀には、先進国の仕事のあり方が変わると言われています。ピーター・F・ドラッカーも、スティーブン・R・コヴィーも言っています。

彼らの主張はこうです。

20世紀は、管理型のマネジメントでした。効率や効果を求めて、モノも人も管理する。人は、コストです。いかに効率よく使うかが大切です。私であるか、あなたであるかは、重要ではありません。効率を上げられるかどうかが重要なのです。人も機械も、代替が可能です。工場労働が、その典型です。

21世紀には、世界がシームレスにつながり、効率を追求する限り、コストダウンが避けられず、必然的に人件費の安い国へ労働が移っていきます。先進国では、管理型マネジメントから、創造型マネジメントへ移行する必要に迫られています。先進国のかなり多くの労働者が、知的労働へと移行していきます。知的な単純労働は、管理型労働ですので、先進国でこなすのは厳しいです。創造的な知的労働へ移行する必要があります。

これは、渦中にいる私たちにとって、世界の衰退や混乱に見えるかも知れませんが、私は、世界の成長だと思います。

管理型労働は、決められたことさえしていればいいので、楽ではありますが、労働者も交換可能なのです。つまり、仕事ができれば誰でもいいのです。この状態で、人間の尊厳はどうなるのでしょうか?

仕事は、金儲けであり、家族を守るために自己犠牲を払っているのだ、という労働観。それが20世紀です。

21世紀には、かけがえのない私であることが求められています。代替不可能な労働者としての私。決められたことをこなすだけではない労働。私でなければできない労働。楽ではないでしょう。しかし、私が私たり得る時代です。20世紀にそんなことを言ったら、社会からはじき出されてしまいます。

21世紀には、私が私でなければいけません。でないと、生きる道を見出せません。

20世紀に先進国の私たちがしていた仕事は、新興国が受け持っています。彼らは、20世紀には安全に生きることさえままならない状態でした。彼らは、管理型労働によって、生きることが保証されつつあります。20世紀の私たちのように。素晴らしいことではありませんか。

人間が増えすぎて、地球のキャパを越えているという意見もありますが、果たしてそうでしょうか?

地球はそんなにも小さなものなのでしょうか?

私たちが競争原理で生きる限り、お互いに奪い合いをするので、世界は有限に見えてしまいます。私たちが世界を使いきっているなどと考えるのは、それこそ傲慢ではないでしょうか。

競争原理ではなく、人々が世界を救おうと意識する創造原理においては、世界は無限なのではないでしょうか。

いくら人間が増えても、世界はびくともしません。世界を歪めるのは、人間の、競争原理という妄想によってなのです。

21世紀、先進国の私たちは、新たなステージへ進むことを世界が求めています。世界の衰退ではなく、社会の崩壊でもなく、まさしく進化なのです。私は、かけがえのない私です。そのような人生を生きようではありませんか。

誰も指示しない道を、勇気を持って拓こうではありませんか。恐怖に怯えるのは妄想です。私たちの人生を最大限に輝かせることにためらっている場合ではありません。

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