メイン
創造の力
|
創造の力[322]階層思考で得るものは?如意宝珠は、「意のままに様々な願いをかなえる宝」です。 が、「私の意のままに」と考えるなら、如意宝珠は幻です。「世界を救うという意のままに」と考えるなら、如意宝珠は現実そのものです。たしかに、意のままになります。 しかし、「意のままに」といえども、即座に、期待通りにではありません。即座に、期待通りになることを望むのは、「世界を救うという意のままに」ではなく、「私の意のままに」です。 即座に、期待通りでないなら、そんなものは如意宝珠でもなんでもない。多くの人はこう感じるでしょうか。すると、如意宝珠は幻ですね。他人と競争して勝つしかありません。即座に、期待通りにを望むならば。 世界は、私そのものだと言えるでしょうが、他人を除いた私のみではありません。 世界は私そのものだという、ホーリズムの視点に立てば、どんな他人もすべてが「私」そのものだとなります。 でも、実際には、なかなかそうは感じられません。嫌いな人、私に危害を加える人を、私そのものだと、どうやって感じられるでしょう? じつは、そう感じることが、階層思考のアウトプットではないかと、私は思います。そのように感じるには、大局的な俯瞰が必要です。星空を眺めていたら、自分の悩みがちっぽけに思えてきたというような感覚が近いでしょうか。 ホーリズムも、そのような境地を実現するのかも知れません。ストレス解消ではなく、ストレス消滅というような心境でしょうか。 しかし、私は、それは問題解決ではないと思います。 問題解決とは、目の前にある現実が良いように変わっていくことです。他人や環境が変化するのですから、即座にというわけにはいきません。 『7つの習慣』に「農場の法則」が説かれています。なかなか含蓄のある哲学だと思います。 種を植えねば収穫はできません。 「即座に、期待通りに」という思惑がいかにバカげたものであるか。それは、「意のままにならない」わけではありません。すぐれた農夫は、すぐれた収穫を得ます。 収穫を、人生における幸せと置き換えれば、如意宝珠そのものではないでしょうか。 すぐれた農夫の思いは、まちがいなく、こんな感じです。「この野菜を食べてくれる人たちに健康と幸せを届けたい」 |