平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

モモナナじぇーぴー

メイン
創造の力

創造の力

[328]エリートでなく、当事者

  

 

インドでは、トイレのない生活をしている人がおおぜいいます。日本人は、排泄物を自然に返すことと、衛生、他人への気遣いを極度に両立させてきたことから、高度のトイレ文化をもっています。日本人が、お役に立てるのではないでしょうか。

ちょっとここで考えていただきたいのですが、日本人がお役に立てるとして、それはエリートでしょうか?

いえいえ、そうではありません。教科書や本に載っているような内容ではなく、世界各地、各人の多様性がもたらす価値なのです。エリートが身につけているのは、抽象化された概念と思考であり、多様性に基づく具体的で個別の知恵や情報は、まさに当事者しか持ち得ないものです。

むしろ、学校教育や近代科学は、そういう多様性をそぎ落とすことを目指してきました。それが無意味だとはいいません。抽象的な思考も大事です。抽象的な思考も大事だということと、抽象的な思考だけが大事だということとは、雲泥の差があります。

20世紀には、抽象的な合理化がめざましい文明を築き上げましたが、21世紀にいたって、そのままでは進めなくなってきています。それは、世界のグローバル化が一気に進んだことで、世界の隅々にまで、世界の多様性が問題を引き起こしているのです。世界がバラバラだった20世紀までは、ある範囲内で考えれば良かったので、それほど多様性が問題になることもなかったのです。

では、21世紀は生きにくい時代かというと、そうではありません。人類は、多様性に直面しています。しかし、多様性は、私たちに無限の可能性と宝物をもたらしてくれます。

無限に多様であるからこそ、どんな人の存在も、どこかの誰かの価値となり得るのです。

それをエリートがなすのだと考えるなら、まさに本末転倒でしょう。

価値とは、まさに解決すべき問題のことです。価値を持つのは、問題の渦中にいる、まさに当事者なのです。彼らがエリートであるかどうか、資金を持っているかどうか、スキルを持っているかどうか、ましてや資格や学歴を持っているかどうかなど、なんの関係もありません。教養があるかどうかさえ、関係ないことです。

価値の創造は、当事者がなし得るものであり、抽象思考が得意なエリートは、当事者が創造の力を使うのをサポートする存在です。けっして、エリートが創造を成し遂げるわけではありません。

現実の世界を見渡して、過去に、当事者でないエリートが創造を成し遂げた事例が1つでもあるでしょうか? もちろん、エリートと言えども、問題を抱えているなら当事者です。

最近、創造というキーワードがよく使われます。創造には、思考の枠を大きくすることと多様性とが大事だと、ほぼ共通して言われます。そのことは、まったくその通りでしょう。

なのに、創造とは非常に難しいので、誰にでもできることではなく、創造を成し遂げていくエリートを養成しなければならないという発想へ向かってしまうのは奇妙です。

多様性とは、エリートがそぎ落としているものだからです。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ