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創造の力

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[337]世界は創造そのもの

  

 

成功哲学の多くが、1つのことを言っているのではないか、もしかすると、すべての成功哲学は同じ1つのことではないか、ということに気づきました。その目で見てみると、言葉や表現やそれぞれの成功者の体験は様々ですが、核となる原理のようなものは、いくつもあるわけではなく、人によって異なっているわけでもなく、たった1つであるように見えます。その視点に立つと、例外が見あたりません。具体的な形は千差万別ですが、原理は1つです。形に注目すれば、すべての成功哲学は、異なります。原理に注目すれば、すべては1つです。

「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

私はこの原理にどたんば哲学と名づけました。

では、この原理は、どのくらいの普遍性があるのだろうかと、成功哲学を離れて見てみました。世界中の神話には、共通する原理があるそうで、それが「ヒーローズジャーニー」として提示されています。表現は違いますが、どたんば哲学とそっくりです。見れば見るほど、同じことに見えます。

では、宗教はどうなのだろう? もしかしたら、世界中の宗教は、表現が違うだけで、1つのものではないのだろうか?

どの宗教でも、神や仏といった、超越的な存在を中心に据えています。かといって、その姿を形として目で見た人はいません。神の存在を心で感じた人はおおぜいいるようですが。誰も姿を確認していないのに存在が信じられているというのは、どういうことなのでしょう?

もしかしたら、私が「世界を救うミッション」と呼んでいるものが、神や仏の正体なのではないだろうか。宗教的な信仰と、世界を救うミッションは、必ずしも同じではありません。世界を救うミッションは、具体的な存在ではなく、あくまでも自分の内面です。

しかし、私が見たあらゆる知恵は、世界を救うミッションが、自分の力を押し広げ、現実を変えていく結果を生み出すことを示しています。仏教では、仏は心の中にいるという解釈もあります。一神教では、神は人間とはまったく異なる聖なる存在であるとされますが、なのに、だれもその存在を物理的に確認していません。神を心で感じた人は多いのに、物理的に見た人はいない。神は心の中にいるということではないのでしょうか。

宗教が暴走を始めるとき、人間は神の言うことに服従します。神が、自分以外の何者かであるなら、自分は他者に隷属することになりかねません。しかし、神は自分の心にいるとなると、神のお告げは、すなわち自分の心であり、自分が主体的に、責任を持って生きることに他ならないのではないでしょうか。神が人間に教えたり指示したりするのは、すべて、自分の心の中の働きであるということにはならないでしょうか。

聖書やコーランや経典に書かれているから、といったって、「今、私に○○しなさい」という直接的な記述はありません。今の自分にふさわしい記述を見つけ、それを自分の状況に当てはめて解釈しています。神や仏の教えのように見えて、自分の心の働きではないでしょうか。

すべての宗教を調べ尽くすことは困難ですが、どうも、どたんば哲学ではない宗教を見出すことは難しそうです。

昔話、伝説、あらゆる文化、人間に起きるあらゆること、古いものでも、最近のものでも、どたんば哲学でない事象は見つけられないように見えます。

どたんばの時にだけ通用する原理ではありません。世界の原理そのものではないかと考えるようになりました。

原理が1つであっても、具体的な形は、無限に多様です。原理というのは、どんな形もとることができます。「世界を救う」という言い方は誤解がありそうですが、善悪とは関係ありません。善悪とは、具体的な形の上での価値観です。

世界はどう見たって、千差万別です。なのに、世界はバラバラになりません。そして世界は、時間的に見ても空間的に見ても、じっとしていません。たえず生々流転、生住異滅を繰り返しています。

世界とは何なのだ? その答えは、人類のあらゆる知見が1つのことを示しているように見えます。
「世界とは、創造そのものである」

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