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[338]世界は時間と空間

  

 

人類の、世界中の、古くからの知恵は、1つのことを示しているように見えます。「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

これを私はどたんば哲学と名づけましたが、どうも、どたんばのみならず、世界のあらゆるものに適用できそうに思えます。

このことを、もう少し詳しくお話ししてみます。

「世界」というのは、「私にとっての世界」という意味です。地球も宇宙も、すべての物理空間が世界だと言いたいところですが、私が世界のすべてを把握しているわけではありません。私に認識できるのは、世界の一部です。書物やインターネットなどで、認識できる部分を増やすことはできますが、すべてを認識することは不可能です。

世界は、私の内面です。その意味では、「思考は現実化する」のも当然です。しかし、すべての思考がそのままの形で現実化するはずはありません。他人は、私ではありません。つまり、世界は、私の外にあります。

世界は私の内面なのか、外部なのかという議論がありますが、どちらも正しいと言えます。だから、決着がつかないのです。心の中と外の世界は1つのものだという意味です。こういってこんがらがるのは、「私」を世界から離れた1つの存在だと考えるからなのです。私は、世界と無関係に生きていけるという思いです。

そんなはずはありません。私は、他のあらゆる存在と関わり合って、補完し合って、世界を成り立たせています。私という存在は、世界そのものであるともいえますし、世界の一部だとも言えます。

「世界を救うミッション」とは、そのことを自分の人生に据えるという意味です。その上で、何をするかは、人によって、まちまちです。世界は多様でなければなりません。多様であるからこそ、救われるし、救うことができるのです。

多様であるということは、世界を救うという形が人によって多様であることを意味します。だから、「世界を救うとはこういうことなのだ」などという言い方はあり得ません。

世界を救うことが多様であるのは、人が生きている環境、性質、能力などが多様であるからです。つまり、人によって、世界が異なるのです。すべての存在は1つの世界で関わり合っています。しかし、私に認識可能な世界は、あなたに認識可能な世界と同じではありません。

私にとっての世界とは、時間と空間で認識されます。

時間とは、私が生きてきた人生です。私が経験してきたこと。私の内面です。

空間とは、今、私が認識できる外部の世界です。私に縁のある存在のことです。

時間と空間以外に世界はありません。時間は内面、空間は外面です。時間は、生住異滅で表現されます。あらゆる存在は、単純なサイクルで動いています。形が無限に多様なので、複雑に見えますが、生じて、栄えて、衰えて、滅んでいくという単純なサイクルは、あらゆる存在に普遍なものです。

空間、すなわち外部の世界は、私とともに世界を成り立たせているすべてです。しかし、そのすべての存在は、生住異滅のどこかの段階にあります。それらが、横軸、縦軸に関わり合っているので、無限に複雑に見えるのです。

「今、目の前にフォーカスする」とは、私にとっての現実を大事にするという意味に他なりません。現実から離れて何かが成るなどと考えることは、バカげた妄想です。

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