平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[339]どたんばを越えられる人

  

 

人間、生きていれば誰にでもピンチが訪れます。そのピンチが大きいかどうかは、他人と比べるものではなく、自分がどう感じるかです。

他人から見れば、どうってことなさそうなピンチでも、本人には命がけかもしれません。私のピンチはあなたのピンチより大きいなどという比較は意味がありません。

助かる可能性が見あたらないピンチを「どたんば」と呼んでいます。実際には可能性があっても、本人にその可能性が見えていないなら、どたんばです。そしてまた、実際に命の危機にさらされるようなどたんばもあります。

そのとき、どたんばを切り抜ける方法はどたんば哲学以外にはないと、私は確信しています。
「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

しかし、あなたは疑問に思うでしょうか。
「どたんばで助かる人と、そうでない人がいるのは、幸運や資質の問題ではないのか?」

じっさい、どたんばを乗り越えられる人は多くありません。破綻あるいは破滅という結果に至ってしまうケースがじつは多いです。小さなどたんばであれば、破綻した後の再起も可能です。厳しいどたんばであれば、命を落とすことにもなりかねません。

どの宗教でも、一生懸命信じていれば必ず守ってもらえるというようなことが言われますが、じっさいには、熱心な信者でもどたんばを乗り越えられないことが多いです。

どたんばを乗り越えられるかどうかの違い、つまり、どたんば哲学が作動するかどうかの分かれ目は、シンプルです。

そのどたんばが、自ら選んだものであるかどうか、です。

与えられたどたんば、つまり、望まないのにやってきたどたんばに対して、私たちは無力です。そのような場合、私たちは、被害者意識を持ちます。どたんば哲学は働きません。

自ら選んだどたんばとは、いったいどんなものでしょうか?

私たちは、2つの道があるとき、できれば安全で無難な道を選びたいです。悪いことではありません。生存本能のなせるわざです。大事なことです。

しかし、現実の歴史を見て、何事かを成し遂げた人、創造の力を使った人は、必ず、厳しい方の道を選択しています。このような選択は、生存本能に逆らう力が必要です。

他人から見れば、無謀で、無思慮で、はた迷惑で、馬鹿に見えるでしょう。

そして、その道は、じっさいに厳しいです。無難な道を選んでいれば会わなくてもいいどたんばが訪れます。途中で逃げたり引き返したりすることも、たいがい可能でしょう。やめてもかまいません。それなのに、わざわざ突き進むと、必ず、最終場面に行き着いてしまいます。

そこで怖れをなして逃げ出しても、誰も責めないでしょう。目の前に崖があれば、逃げて当然です。

それでも、進む人がいる。

その時、どたんば哲学が働きます。

あらゆる人類の知恵が、そのことを示しています。現実の出来事であれ、物語であれ、どたんば哲学を示しているはずです。形は無限に多様ですが、原理はあまりにシンプルです。

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