平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[344]世界を救うために

  

 

前回、ちゃぶ台返しをする人たちについてお話ししました。

いくら「良いこと」をしようとがんばっても、無神経にそれをひっくり返してしまう人がいます。

私たちの社会が狭かったころ、つまり、20世紀までの話ですが、社会の規範を侵す人は、排除すれば問題解決となることが多かったでしょう。私たちの努力を、ちゃぶ台返しする人があれば、私たちの社会から排除すればよい。そうすれば、私たちは社会を維持し、発展させていくことができました。

地域社会にしろ、学校にしろ、会社にしろ、どんなコミュニティにしろ、国家にしろ、そこから追いだしてしまえばいい。簡単なことです。追い出すことは簡単ではないかも知れませんが、どうにかして彼らと縁を切れば問題解決が見通せます。

ところが、20世紀の二度の大戦を始め、侵略、植民地、全体主義、民族紛争、大虐殺など、怖ろしい歴史を通じて、人類はだんだんと、排除が問題解決でないことを学んできました。

そして、インターネットやグローバリゼーションが世界を1つにつないでいくと、排除しようにも排除しようがないという現実に行き当たってきました。

世界とは、私たちのすべてが世界なのですから、当然、そこには悪い人や秩序を乱す人や、自己中心的な人も存在します。

それらを良しとするわけではありませんが、そのような世界を乱す人々が存在することも現実であり、そのことを直視していかねば未来は拓かれません。

彼らを排除することが問題解決でないなら、彼らが存在することの意味を考えていくこと、そして、その意味から何かを学んでいくことが、世界の現実を生きることに他ならないだろうと思います。

つまり、世界を救うとは、超人的な能力を発揮して危機から救い出すことではなく、現実を大切に生きることなのです。世界とは、現実です。

しかし、私たちは、現実から目を背けようとしがちです。自分に都合の良いものだけを見て、都合の悪いもの、不快なものは見ないことにする。

かつては、それでも通用しました。世界が狭かったからです。そして、異なる世界とのあつれきが絶えませんでした。

そのようなあつれきは、もう卒業しましょう。世界という現実で、私たちは、手を取り合って生きていこうではありませんか。

人間には様々な次元の欲求があります。最も高次のもの、または、最も根源的な欲求、または、最も人間らしい欲求は、自分が自分として認められることです。自己実現と言ってもいいでしょう。

認められるために、私たちは、お金や権力や肩書きや学歴を手に入れ、人々がそれにひれ伏すのを見て、認められたと考えます。しかし、ほんとうに認められたわけではないため、どうしようもなく満たされない思いがついて回ります。

認められるということは、私が受けとることなのですが、世界は、一方通行ではありません。認められたいなら、認めねばなりません。それが、世界を救うことの正体だと、私は考えています。認めるとは、排除したくなるような存在の意味を考えることです。

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