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創造の力
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創造の力[348]価値の創造先進国では、モノを作っても売れないという時代になってきました。そのぶん、新興国がものづくりを担うようになってきました。彼らの生活水準が向上していくのですから、喜ばしいことではありませんか。 そのぶん、先進国の人々は、職を失い、生活しづらくなってしまいます。これだけ見れば、競争原理によるトレードオフ、すなわち、誰かが得をすれば誰かが損をするというゼロサムゲームが現実であるかのように見えてしまいます。 だったら、先進国と新興国とで争うしかありません。それはやってはいけないでしょう。歴史の逆戻りですし、壮大な不幸を産み出しかねません。そんな考えはやめましょう。 では、ものづくりをしづらくなった先進国では、新たな価値を創造する必要に迫られてきます。 まあ、ここらへんまでの話はよく言われる内容です。どこででも、だれもが、そのようなことを言っています。 では、その新たな価値って、どんなものなのでしょう? ビジネスや経済を競争原理で考える人は多いですが、それはおかしなことではありませんか? だれかに何かの価値を提供することの見返りが売上とか報酬とかであるはずです。価値を提供せずにお金を得ようとするのは、ビジネスではなく、略奪か詐欺ではありませんか。それはやっていけないでしょう。 モノは、それを必要とする人には、何らかの価値をもつはずです。必要としない人には価値がないでしょうが。コレクションや骨董品や芸術性のあるモノを除けば、ほとんどのモノは、代替可能ですし、作れば作るほど、価格は下がっていきます。価値が低下していくことになります。これは、モノの宿命といってよさそうです。 貨幣価値の高い先進国では、そのようなものづくりでメシを食っていくことが困難になってきています。これは、ひどい状況になっていると考えるより、新たな価値を求めることが、世界から必要とされていると考えた方がいいです。 そのとき、マズローさんの5段階(+1)の欲求モデルが参考になるでしょう。 1. 生理的欲求(Physiological needs) モノは、おおむね、1〜3に相当します。ブランド品や高価格のモノは、4にもあたるでしょう。ところが、第5段階は、モノでは実現することのできない欲求です。というのも、モノは「欲しい」という欲求を形で満たしますが、自己実現は、「与えたい」という欲求ですから、モノではないのです。 さらにその上、第6段階は、まったくモノではありません。 6. 自己超越 (self-transcendence) 情報社会の到来とも言われますが、情報は、自己実現や自己超越とイコールではありません。しかし、自己実現や自己超越を手に入れるための重要なツールの1つではあるでしょう。 新たな価値を情報だと考えていては、前に進めないでしょう。誰かが必要としてこそ、価値なのです。ツールは価値ではありません。ツールが産み出すものが価値なのです。 |