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創造の力
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創造の力[349]これからなされる価値の創造ものづくりがしづらくなってきた先進国では、新たな価値を創造しなければやっていけません。 そのとき、マズローさんの5段階(+1)の欲求モデルでいうと、モノが提供できる価値は1〜4です。 1. 生理的欲求(Physiological needs) すると、新たな価値とは、5か6ということになります。 5も6も、「自己」ということばで語られていますが、自己とは、「私」が主体となる言葉ですが、私が他者(世界)へ働きかけることを言います。自己実現は、自分が望むような人生を生きることですが、自分を中心に考えて生きられる人生ではありません。どうしても、世界との関わりの中で、自分がなんらかの価値を創り出していくことにしかなりません。つまり、「受けとる」よりも「与える」ことを主に考えて生きることなのです。 自己とか自分とかいう言葉は、誤解されやすいです。私を中心に据えることだと思われがちです。主体性とは、私を中心に考えることだと誤解されがちです。私を中心に考えるなら、すでに私が何かをなすことはできなくなり、誰かに依存せざるを得ません。私を中心に考えることは、すなわち依存なのです。 自立とか主体性とかいうマインドは、世界を中心にした視点での「私」なのです。だからこそ、思うような人生を歩めるのです。世界を中心とした視点は、つまり、それが現実の姿なのです。残念ながら、世界は私を中心には回っていません。そんなことは、だれでもわかるはずです。なのに、自分を中心に考えようとするのは、じつに奇妙な話です。 マズローさんが晩年に示した「自己超越」というスピリチュアルがかった概念は、世界と私が一致した状態だと思います。つまり、究極の現実です。 人間は、なまじっか知恵があるため、現実から離れようとしてしまいます。そうではなく、知恵でもって現実を生きることが、最も幸せであり、最も「自己」を強く持てるのです。 さて、では、21世紀を生きる私たちが、これをもとに、どのような価値を創り出していけばいいでしょうか。 1や2の、人間の尊厳以前の欲求が脅かされている人々が、世界にはおおぜいいます。3や4で悩み苦しむ人々も多いでしょう。5や6は、1〜4で悩み苦しむ人々へソリューションを提供することにほかなりません。現実を生きるということは、そういうことなのです。 どのような偉大な人々も、そのように生きてきたはずです。 世界は無限に多様です。人間の欲求や悩み、苦しみも、無限に多様です。私がいかに非力で小さな存在であっても、かならず、解決可能な問題があります。 偉人たちの言葉や人生をよく分析すると、私が抱えている問題そのものが、じつは他人へのソリューションを産み出すのです。私の問題が大きければ大きいほど、より大きなソリューションを産み出せるはずです。しかも、私にとって「どうにもならないこと」そのものが、他人を救うのです。 |