平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[352]21世紀への期待

  

 

今が時代の転換期だと、多くの人が感じているでしょう。これから、どんな世界になっていくのか。良くなるのか、悪くなるのか。子や孫へ、明るい未来があるのか。私自身の残された人生は、どうなのだろう。

悲観的に見る人も、楽観的に見る人もいます。ただ、間違いなく言えることは、その未来はまだ来ていないということ。現時点で、良くなることも悪くなることも確定していないということ。

だったら、悲観も楽観もおかしなことではないでしょうか。唯一意味があるのは、私自身が今、どう行動するかということ。今の行動によって未来ができていくことは、疑いありません。今、何もせずに良い未来を待っていても、おそらくやってきません。

しかし、20世紀まで、人類の中の大多数は常に、できない理由を探し、できない理由を自分の外へ転嫁し、自分の可能性を小さくする生き方をしてきました。

現在も、そうです。○○が悪い。○○がないからできない。○○さえあれば。安定とか無難とかいう価値観が、どれほど私自身を小さくしてしまっているか。

たしかに、社会の仕組みや物理的な限界など、望むことがなんでもできるわけではありません。自分の外に、いろんな制約があるのは事実です。しかし、そのような制約は、本当は自分の可能性を制約しているのではありません。形の上では様々な制約があっても、可能性は無限大です。その制約の中でできることは無限大なのです。

そのためには、自分の人生に責任を持つ必要があります。自分で責任を持つなら、後で取り消したり変更したりすることが難しくなります。だから、逃げ道を残しておきたい。そのために、人は、自分を檻へ閉じ込めます。檻の大きさは、人それぞれですが、間違いなく言えることは、その檻は、誰かに閉じ込めさせられたものではなく、自分で自分を閉じ込めたのです。

じっさいに、誰かの手で、檻の中、あるいは何かの形で監禁状態にいる人でも、その状況の中でさらに自分を檻に閉じ込めてしまうのです。もちろん、その監禁状態が本人の責任でないなら、その人を助けてあげねばならないでしょう。その状況を放置して良いというのではありません。でも、どんな状況にあっても、自分の可能性は無限大です。

自分を檻に閉じ込め、可能性を小さくしてしまうことで、自分の人生に責任を持たなくなります。そのぶん、誰かに自分の人生をゆだねてしまいます。それが、おそろしい結果をもたらすケースもあります。そうでなくても、自分の問題解決を著しく困難にしてしまいます。

創造とは、魔法のようなものではなく、ほんらい自分が持っている可能性を存分に活用することに他なりません。

じつは、21世紀は、そのような時代に向かいつつあるのではないかと見えます。個人が人生をゆだねてきた相手の筆頭は、国家であり、会社であり、地域社会であり、学校でしょう。いま、多くの先進国では、国家も会社も地域社会も学校もゆらいでいます。依存しようとしても依存しきれない状況にだんだん進みつつあります。

社会が崩壊しているように感じる人もいるでしょう。大きな問題に押しつぶされるかのように感じている人もいるでしょう。

今、私たちに必要なのは、自分で作った檻から、外へ出ることではないでしょうか。

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