平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[353]個人と集団

  

 

前回、自分の人生をゆだねるべきではないと書きました。国家、会社、地域社会、学校などへ、人生をゆだね、自分で自分を檻に閉じ込めてしまいます。

とすると、21世紀には国家も会社も地域社会も学校も不要なのか?なくなった方がいいのか?という話になりそうですね。そうではありません。

世界は、1つなのに多様であることで、成長や進化を生みだし続けています。人間の中にも、自分一人の力で生きていける人は、誰一人としていません。キリストさんやお釈迦さんのように、人間を超越した存在と思われている方々でも、無数の人々に支えられながら、この世を生きていました。世界を救うということは、同時に、世界から救われることでもあるのです。これが、多様性の正体です。

私たちは、世界と関わり、世界を救い、世界から救われることでしか生きていけません。個人と世界の1対1の関係は現実的ではありません。インターネットなどによって世界がシームレスにつながったとしても、様々な集団や組織が必要です。個人が多様であると同時に、集団や組織も多様性を担っているのです。

国家や会社や地域社会や学校が、20世紀と同じ形のまま継続していくことはないかもしれません。だからといって、なくなることもないのではないかと思っています。国家も、会社も、地域社会も、学校も、近代文明を生きる私たちには必要です。

しかし、集団と個人とのあり方は、変わるでしょう。

個人が、自分の人生を集団へゆだね、自分を檻に閉じ込めてしまうのではなく、個人が、集団のミッションと自分のミッションの一致を見出し、自己実現のために集団へ全力でコミットする。そんなあり方が実現すれば、世界はかなり良い方向へ変わっていくのではないでしょうか。

ミッションが一致するには、最も大きな枠組み、すなわち「世界を救う」ということでなければそもそも一致を見出すことはできません。

世界を救うといったって、どんな組織もどんな個人も、世界のすべてを救い尽くすことはできないので、縁のある範囲でしか活動できません。だから、世界を救うというミッションは、それぞれの個人、それぞれの組織で多様な切り口となります。

世界を救うというのは、「ある人たちだけ救う」のではないという意味です。私の家族だけよければよい。私の地域だけ発展すればよい。私の会社だけ成功すればよい。私の国だけよくなればよい。これらは、世界を救うとミッションとは相容れない価値観です。

でも、私の家族がよくなりたい。私の地域がよくなりたい。私の会社が成功したい。私の国がよくなりたい。こういう価値観は、世界を救うというミッションのある切り口となり得ます。

世界を救うというミッションは、競争原理を破ります。

共存共栄、持続可能な社会、循環型社会、多様性など、20世紀の終わりごろから目立つようになってきたキーワード、世界を救うというミッションが、すべてを含んでいます。

そして、世界を救うというミッションを持つためには、自分を檻から解放することが第一に必要なのです。

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