子どもたちにとって最も良い学びのあり方を求めて

モモナナじぇーぴー

メイン
ホームスクーリング実践記

ホームスクーリング実践記

[005]内藤家の教育目標

  

 

大事なことは、「方法」ではありません。
どうやって勉強するか、は、瑣末な問題です。
鼻くそ程度にどうでもいい問題です。
ホームスクーリングも、しょせんは「方法」に過ぎないので、どうでもいい問題です。

こうやってわざわざ「方法」をおとしめるのは、それだけ、大事なことが見えにくいからです。

「大事なこと」とは、長男が小学生になる時、つまり、わが家のホームスクーリングの出発点で、強く意識し、家族で何度も話し合い、今日に至るまで、全くぶれず、子どもたちも強く意識していることがらです。子どもたちに望むことであり、私自身、死ぬまで求めることでもあります。

「自分の人生を生きること」

簡単な言葉ですが、非常に難しい。この世の中で、最も難しいといってもいいでしょう。

私の人生が何であるか、どのようなものであるかを決めるのは、私です。
誰かに与えられたり設定されているわけではありません。
神も仏も私の人生を決めることはできません。
親も師匠も、政治も社会も、会社も地域も組織も、私の人生を決めることはできません。
運命が私の人生を決めることはできません。
どのような宗教も哲学も人生観も価値観も道徳も、私の人生を決めることはできません。

私の人生を決めるのは、私です。
つまり、

「私の人生に、私が責任を持つ」

責任を持つということは、選択したことの結果や影響に対してです。
当たり前のことですが、他人を傷つけたり苦しめたりすると、その結果や影響が自分に好ましいとは考えられません。
自分さえ良ければ、という選択であれば、その結果や影響はやはり好ましくないでしょう。
社会や組織に依存するという選択は、無難に見えますが、失うものも少なくないでしょう。
反社会的な選択も、結果や影響はひどいものとなりそうです。

すると、こうなります。

「他の人々や、社会に、広く大きく貢献する」

なるほど、そうすれば、良い結果や影響は期待できそうです。
でも、「自分」はどうなのでしょうか?
「貢献し続ける人生」を選択したいのかどうか。
滅私奉公は避けたい。
社会のためであっても、自分を犠牲にすることは避けたい。
お国のために命を捧げることを人生の選択にはしたくない。
私の人生は、私にとって最高のものでありたい。

だったら、「私のため」と「他の人々のため」を一致させるしか考えようがありません。
私と世界が、win-winの関係にならねば、うまくいきません。
つまり、「世界」=「私」=「私以外のすべて」という文脈で、

「世界を救う」

あ、ウルトラマンみたいになっちゃいました・・・

ここまで含んだ上で、わが家の教育目標は「自分で自分の人生を生きること」です。
そして、今回書いたことのすべては、家族みんなで日常的に話をしていることがらです。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ