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ホームスクーリング実践記

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[011]意欲

  

 

仕事でもそうですが、勉強においても、意欲次第で、効率も効果も、まるで違います。

強い意欲で取り組めば、短時間で大きな成果をあげることが可能です。意欲が低ければ、どんなに長時間やっても、どんなにたくさんやっても、効果は低いです。

困ったことに、「意欲」を管理したりマネジメントしたりすることはできません。最近は、意欲をマネジメントする方法を開発したりコーチングしたりする人たちが出てきましたが、そもそも意欲とは、その人の内面の問題なので、外的な環境を適切に整えることで、ある程度内面を方向付けることができたとしても、本当の意味で意欲をひきだすことはまず、できないでしょう。人間は機械ではありません。私の心を他人が操作することはできません。そんなことができるなら、逆に怖ろしいです。

暴力や恐怖による服従、あるいは利益による誘導は、行動を操作しているだけで、心を操作しているわけではありません。
「勉強しなければ○○をとりあげるぞ」とか「勉強すれば○○をあげるよ」などというやり方は(世間に意外と多く見られそうですが)、動物の調教と同じです。子どもの将来が開けるでしょうか?

洗脳は、心を操作する方法といえるかもしれません。洗脳のための方法は、一般人でも見ることができるので、子どもに対して適用することもできそうです。洗脳のためには、まず、情報を著しく制限し、ある情報以外の情報を遮断すること。その「ある情報」だけをひたすら繰り返すこと。洗脳は、本人をその気にさせますし、すすんで行動させることもできます。しかし、もともと本人が望んでいないことをねじ曲げて信じさせることになります。

洗脳と言えば言葉がきついですが、勉強や仕事において、このようなやり方をとりいれているケースは、わりとよく見られます。たしかに、効果はあがるでしょうし、それによって本人が望む幸せを手に入れられるなら、それはそれで使いようなのかも知れません。

私は、このやり方を子どもたちに使いたくない。

情報を制限し、特定の情報を繰り返すことは、ある部分に効果的であったとしても、視野を狭くし、価値観を固定化します。つまり、洗脳とは、選択肢をなくすことでもあるのです。選択肢がないから、それを選択するだけのことなのです。

これは、「人生の選択」ではありません。自分の人生を生きることとは、かけ離れています。

わが家の教育目標は「自分の人生を生きること」ですから、暴力、利益、洗脳とも、採用できません。

「意欲を引き出す」という考え方自体が、不遜なのかも知れません。「親が望む意欲」が子どもの中に存在するので、それをどうにかして引き出す。やはりそれは、虚構ではないでしょうか。

意欲とは、「私はこのように生きたい」「私の人生はこのようでありたい」「私という存在はこのようでありたい」という思いなのではないでしょうか。それを、親といえど他人が見出したり引き出したりなど、できるはずはない。

「このようにありたい」ということは「こういうことをしたい」ということではありません。「あり方」は「具体的に何をするか」とは関係ありません。子どもにとって、将来、どんな職業に就き、どんな家庭を持ち、どこに住んでどんな暮らしをするかを見通し決定することなど、できるはずがありません。しかし、「私はどんな人間でありたいか」は、少しずつ考えていくことができるはずです。もちろん、短期間に明確な答えを見出せるものではないでしょう。

意欲とは、そういったものではないだろうかと、子どもたちに接するうちに、考えるようになってきました。

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