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ホームスクーリング実践記

ホームスクーリング実践記

[012]自己マネジメント

  

 

学校は時間管理型だが、わが家は数量管理型だと、述べました。いずれにしても、問題は、意欲です。意欲は、「私はどうありたいか」を見出すことそのものではないかと考えています。

そもそも、意欲があるなら、時間管理にせよ、数量管理にせよ、管理は不要となるはずです。

たとえば、難関大学に合格した受験生は、時間管理や数量管理を受けていたでしょうか? 当初はそうだったかもしれませんが、管理によって難関大学合格を勝ち取ることは、じっさいにはないのでは?

大きな成果を手に入れるには、強い意欲が不可欠です。強い意欲を持てば、時間管理にせよ、数量管理にせよ、管理を受けることが邪魔になります。受験生にとっての意欲は、たいがいの場合「合格」でしょう。「そこの学生となった私」でしょう。ある意味「私のあり方」といえそうです。

私は、受験生相手に勉強を教えた経験が何度かありますが、その子の顔を見ただけで、だいたい察しがついてしまいます。学校の先生、予備校教師も同じではないでしょうか。公立高校受験のように、ほとんどが合格するという受験ならそうでもありませんが、きわめて厳しい競争に勝ち抜かねばならない受験の場合、決め手は意欲です。「合格できたらいいな」という思いで合格することは、まず無理でしょう。「そこの学生となった私」以外の私を想像できないとなれば、しめたものです。

そこまで思い詰めて、もし不合格だったら、人生を見失うのではないか、という疑問もあるかもしれません。そうはならないでしょう。具体的な目標を目指すのであれば、失敗した時に落胆や絶望に襲われるかもしれませんが、「あり方」を思い続けていれば、それは具体的な形ではないので、そもそも失敗という評価があり得なくなります。

「そこの学生となった私」が「○○大学合格」でしかないなら、危ういです。「そこの学生となった私」は、あくまでも「あり方」ですから、不合格であったとしても、もう一度挑戦するのか、他の選択肢(他大学、専門学校、就職など)でも、そのあり方を実現できるのか、あらためて選択できるはずです。

「そこの学生となった私」が具体的な目標とイコールであるのか、「あり方」の選択肢としての目標であるのか、違いは大きいです。

自己啓発や、成功哲学でも、目標は具体的である方が良いと、強調されます。『7つの習慣』では、具体的な目標に先だって、「ミッション・ステートメント」を考えます。つまり、具体的な目標には、その基盤となる「私のあり方」が必要だというのです。具体的な目標が大事なのは、イメージしやすいからです。

教育でも、試験の結果・順位、成績や偏差値、受験合格など、具体的な物差しが役に立つとしても、具体的な物差しが究極の目標となっては、非常に危ういです。

学校では、「私のあり方」を教えることはできません。「人はこう生きるべき」という教え方をすることはできるでしょう。それは、何をどのように教えたところで、「私のあり方」ではありません。

「私のあり方」は、私にしか見出すことができません。「私のあり方」を見出せば、私に関するあらゆる問題が解決します。これは、私の持説ではなく、『夜と霧』のヴィクトール・E・フランクルが、過酷な経験をした末に見出した結論です。また、ピーター・ドラッカー、スティーブン・R・コヴィー、その他、多くの方が称賛を送る人たちの言葉は、表現が違うだけで、同じことを言っているように聞こえます。「こうすれば、こうなった」というノウハウや手法は、瑣末な問題です。

ヒーローズ・ジャーニー、世界中の神話、昔話など、ほとんどが、同じことを言っているように聞こえます。

わが家のホームスクーリングですが、数量管理型は、表面的な仮の姿で、実際は、自己マネジメントを目指しているのだと、家族で考えるようになっていきました。

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