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ホームスクーリング実践記

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[013]読書

  

 

読書が非常に大切だと、多くの先生方、教育関係者は認識しているのに、学校教育で読書が大切にされているようには見えません。

時間を決めて本を読むのは、読書のうちの1つの形であっても、読書そのものではありません。子どものうちに、時間を忘れて本をむさぼり読む、という経験を重ねた方が良いと思います。

本は、読まされるものではありません。読みたくて読むものです。そもそも、「読みたい」という意欲無しに読書は成り立ちません。あ、また精神論ですね。まあ、学ぶという営みは、多分に精神的な営みなのだと思います。システム的に学びを構築することもできますが、それでは、効果も効率も悪く、「何かを知る」「何かを身につける」ことはできても、「私の人生を生きる」ことにはなかなか至らないでしょう。

私の経験的に、幼い頃の読書量と中学・高校時代の成績にはある程度の相関関係がありそうです。そのように考える親も、ある割合で、いるようです。

読書も結局、意欲の問題に帰してしまいます。読みたくない子に、あるいは読みたくない本を無理に読ませると、よけい本嫌いにしてしまいます。かといって、何もせずにほっておいて、読書好きになるかどうか・・・

中学生になると、部活や定期テストに追われ、なかなか読書どころではなくなってしまうようです。たしかに、読書には即効性は期待できませんが、長い目で見ると、非常に大切です。

マイクロソフト日本法人の元社長である成毛眞さんが書いた『本は10冊同時に読め!』は副題が「本を読まない人はサルである!」となっています。(本を読まない人、ごめんなさい!私じゃないんです、成毛さんです、サルなんて言ってるのは)

成毛さんは、若い頃から、毎月、少ない給料の半分を本に費やし、膨大な読書をしてきたから、MS社長になれたのだと、言っています。たしかに、ある程度以上の規模の会社の経営者は、かなりの読書をしているようです。そりゃまあ、本を読めば社長になれるなんて法則はないでしょうが。

人間が一生において直接経験できることには、限界があります。出会える人々、文化、社会も、無限というわけにはいきません。読書は、その物理的限界をとっぱらうものです。視野を拡げ、世界を拡げ、経験を拡げる。せまい世界で完結するように暮らすことができた過去の時代ならともかく、現代は、あらゆる点で、世界中がつながり、影響し合っています。唯我独尊で生きていくことは困難です。

今まで以上に、読書によって私自身を拡げることが重要になってくるはずです。

とまあ、こんな思いで、わが家では、本が最優先事項です。他のことは後回しでいいから、とにかく本を買う。読んでも読まなくてもいいから、本を買う。本は財産。本は未来への投資。置く場所がなくても、本を買う。他のことはケチっても、本はケチるな。そして、本を大事に扱う。本をリスペクトする。本は、宝なのだから。

長男が生まれて6カ月目から、読み聞かせをしています。もちろん、言葉など、わかりません。聞いていようと、あっち向いていようと、読んで聞かせる。だんだん、本が当たり前になってくる。本の対象年齢は関係なし。親がおもしろいと思う本(絵本)を次々と、そして繰り返し、読む。どんな本を読んだらいいか、なんて、気にしない。そのうち、長男は、本が大好きになっている・・・

長女も次女も、同じパターンです。三女は、読み聞かせが少なくて、申し訳ないです。でも、そのぶん、長女と次女が、読み聞かせしてくれています。

いっとくけど、洗脳じゃないっす。情報を遮断していませんから。わが家では、テレビもDVDもマンガもゲームもインターネットも、なんでもありです。いくらテレビを見ても、ゲームにはまっても、ものすごく本を読みます。心底、本の楽しさを知ったら、どんな誘惑があっても、本から離れません。わが家には、「読書」という概念はありません。当たり前すぎる日常ですから。

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