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ホームスクーリング実践記

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[014]ゆとり

  

 

ゆとり教育は、どうしてダメだったのかなぁ?
偏差値重視のつめこみ教育の弊害に対するアンチテーゼとして、ゆとり教育に行き着いたはずですが、ゆとり教育を否定するということは、偏差値重視のつめこみ教育へ回帰するのでしょうか? それがよい、そうすべきだ、という人も少なからずいます。それはそれで、1つの意見であり、教育観でしょう。今、学校教育は、偏差値重視のつめこみ教育へ向かっているようにも見えます。それを国民が望むなら、それでいいのでしょう。

わが家は、はっきりいいますが、ゆとり教育です。学校教育における「ゆとり」は、学習内容を減らすことで実現していましたが、その点は、わが家では違います。時間管理型から、数量管理型に変えることで、実現しています。

ゆとり教育批判のうち、学習内容の削減はダメだ、という意見は、私も賛成です。学習内容を学校より増やし、学校より勉強時間をうんと短くし、学習効果を高くする。時間管理型では、これは不可能です。数量管理型+意欲で実現します。

本人の意志次第という条件付きですが、学校で習うのと同じ内容を、独学ではもっと短い時間で修得できます。時間管理型は効率が悪いです。それは、仕事に置き換えて考えてみると一目瞭然です。勉強は、教わらなければ身につかないという思い込みが蔓延していますが、そんなことはありません。むしろ、逆だと言ってもいいくらいです。

学校は時間管理型だから、独学の話はホームスクーリングにしか通じないじゃないか、というのは、違うと思います。家庭での学習、つまり、予習、復習、宿題、試験勉強、その他、これらは独学です。もっとも、親が管理していたら独学にはなりませんが。

さて、わが家では、こうやって生みだしたゆとりをどうするか。ゆとりは、管理されない時間なので、子どもたちがどう使おうと、基本的に親は口を出しません。

幸いに、ここは田舎なので、子どもたちだけで外で遊んでいても、心配は少ないです。テレビ、パソコン、ゲーム、おもちゃ、なんでもOKです。工作に夢中になることもあります。絵を描いたり、楽器で遊んだり。なにより、読書の時間が、あり余るほど、あります。わが家の子たちは、学校に行っていればあり得ないほど、本を読んでいます。時間管理型では、それだけのゆとり時間を捻出できませんから。長女は、毎日のように、おやつ作りか、料理をしています。これも、学校に行っていれば、あり得ないことです。

食後の洗い物は、長男、長女、次女がローテーションを組んで、やっています。これも、学校に行っていれば、あり得ないでしょう。

さて、「意欲」の話をさんざんしておいて、わが家が意欲に対してどう取り組んでいるのかを、明らかにせずにきました。答えは、ゆとりにあります。

「私のあり方」を見出すには、多様な経験が不可欠です。もちろん、直接経験できることは、可能な限り、機会をいかします。でも、世界中のどんな場所でも、はるか昔からのどんな時代でも、どんな文化、社会、価値観、宗教も、自分とはちがう人たちの悩み、苦しみ、喜び、感動、動物たち、昆虫、植物、宇宙、ミクロの世界、最先端の科学、神話や伝説、こんなことは直接経験できません。だから、本なのです。

たくさん本を読むことは、「私のあり方」を見出すために、大きな力となります。
そしてまた、工作にしろ、料理にしろ、誰からも管理されない自主的な取組も、世界を拡げます。

意欲がゆとりを生みだし、ゆとりが意欲を生みだす。
わが家のスパイラルです。

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