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ホームスクーリング実践記

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[020]ストーリー

  

 

『東大のディープな日本史』(中経出版)という、とても面白い本があります。参考書ではありません。一般の読み物です。

「はじめに」のしょっぱなに例として紹介されている東大の入試問題です。

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次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え、(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を5行(150字)以内で記せ。(略)
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すごいですね、東京大学。いったん出題した入試問題を、受験生にだめ出しした上で、もいっかい出題するなんて。

この問題は、暗記ではとうてい太刀打ちできそうにありません。まず、低い評価の答案例を分析することから始めるでしょう。歴史的事実を間違えているのではないが、考えが浅い、ということなのでしょう。分析はパターン思考でできそうですが、考えが浅いというダメ出しには、どう対応したらいいでしょう?

「東大なんてどうせ関係ないから」なんて言わないで。人生においては、東大入試ごときが足もとにも及ばない難しい問題がごろごろしています。自分の人生を生きるならば、それらの問題に自分で責任を持って対していくことになります。

2011年の京大の入試で、携帯を使ったカンニング事件がありました。ものすごく報道されたので、多くの方が覚えておられるでしょう。前代未聞の事件ですが、京大は、被害届を出し、刑事事件となりました。この件について、『東大のディープな日本史』では、興味深いコメントをしています。

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東京大学の先生方ならば、こう言い放ったはずです。『カンニングは許されない行為だが、そんなことをして合格できるような問題は出題していない』と(京都大学の先生もそう言うべきでしたし、その資格は十分にありました)
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カンニングをしても合格できないとは、どういうことでしょうか? 大学は正解を求めているのではなく、その人にしかできない思考を求めていると言えそうです。

わが家の教育目標はまさにそこなのです。東大や京大に行きたいかどうか、行けるような学力を欲しいかどうかは、子どもたちが選択すればいいことであって、入試を問題にしたいのではありません。どのように物事を考えるかは、小学校の漢字であろうと、東大入試、京大入試であろうと、人生の問題であろうと、同じであるはずです。

すると、私はしょうしょうせっかちだったわけです。勉強の仕方を教えて、「ほい、わかった」と、ちゃちゃちゃってマスターしてしまえるような、そんなことをして生きているような人生を選択していないはずです。

戦後の日本教育は、神話・宗教・道徳を排除する流れがあったと思います。これらをもとに「このように生きるべきである」と子どもたちに教えるのは行きすぎでしょう。しかし、私は、神話も宗教も道徳も、大事なものだと考えています。これらを「物語」ととらえています。

最近、いろいろな方面で、神話の価値を見直す見解を見かけます。現代は神話が失われたので、社会が粗野になっているという見解もみました。物語は娯楽でなく、生きるために必要な根本的要素なのだ、という見解も見ました。(いずれもアメリカ人のビジネス書です。日本人の、いわゆる右派ではありません)

パターン思考に不足しているのは、物語ではないかと思い至りました。多種多様な情報を分析し、分類し、整理し、多様性と共生を見出したとしても、そこでもってどう生きるか、は、パターン思考だけでは導かれません。先に挙げた東大の入試にも、物語の力が必要なのではないでしょうか。物語の力は、カンニングによっては再現できません。物語の力とは、どのように感じ、どこに意味や価値を見出し、どのように私の人生を見出すか、という力です。

神話・宗教・道徳を生きる指針にするという話ではありません。たくさんの物語にふれることによって、私自身の物語が豊かになるという意味なのです。

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