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ホームスクーリング実践記

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[028]昔話

  

 

桃太郎、舌切り雀、一寸法師、カチカチ山、浦島太郎、竹取物語、因幡の白ウサギ、ヤマタノオロチ、おむすびころりん、わらしべ長者、ちからたろう・・・

わが国に、昔話はじつにたくさんあります。それぞれの地方や語り手でバリエーションもあり、無限に多様です。神話由来、仏教由来が色濃いものもあれば、地方独自のものもあります。勧善懲悪、異界、変身、復讐、因果応報、美徳、冒険・・・

桃太郎という、おそらく日本で最もメジャーな昔話でも、本によって、内容が違います。昔話を網羅することは、不可能です。

わが家では、たくさんの昔話をそろえています。子どもたちは、かなり昔話を読んでいます。絵本だけではなく、読み物としても。

日本の昔話だけではありません。世界の昔話もです。たくさん読んでいくと、ある程度似た話、共通パターンが見えてきます。ぜんぜん違う国に、そっくりな話があったり。
逆に、たくさん読めば、「違い」も引き立ちます。日本の昔話でも、「オニ」は、人喰いオニもいれば、優しいオニもいます。悲しいオニもいれば、楽しいオニもいます。オニは、必ずしも悪者ではないです。あまりに身近なオニですが、よく考えると、私はオニを見たことがありません。オニは、「私自身の分身」であるかもしれません。

地方に伝わる昔話を読むと、そこの土地柄や風土が伝わってきます。地理や歴史の勉強に対して、命を与えることになりそうです。「できごと」には、そこに生き、暮らしている(暮らしていた)人々がいます。地理や歴史の勉強をとおして、人々を感じることができるでしょうか?

昔話は、人々がゆるやかに共有する価値観、あるいは思考でしょう。世界を知る、歴史を知るためには、情報(学校の勉強)だけでは不充分です。

神話と同じように、昔話も、現代を生きる私たちに、重要な意味を持つと、私は考えています。情報(出来事や科学的知見)を自在に操れたとしても、私たちが情報社会に呑み込まれ、情報の僕(しもべ)となってはいけません。私たちは、情報に使われるのではなく、情報を使っていかねばなりません。そのことは、私が言うまでもなく、多くの人が警鐘を鳴らしています。

では、どうすればいいのか?

その手立てが示されることはなかなかありません。

情報を操るスキルが「パターン思考」であるなら、情報社会の主となるスキルは「物語の力」ではないかと考えています。物語(神話や昔話)が人類にとって、非常に大切なものであるという見解を、しばしば見かけるようになってきました。その多くは、欧米人に見ます。日本人にはその意識はまだあまり強くないようです。

情報社会が進めば進むほど、加速的に増大する情報についていこうとします。あまりに多すぎる情報の海で溺れず、なんとかしようと、もがきます。ところが、情報はだんだん細分化し、量も増えていくので、「ついていく」ことなど、できるはずもありません。

アメリカ人の書いた本ですが、「コンストラクタル理論」というおもしろい見解があります。世界のどんなものも、大きなものも、微細なものも、生物も無生物も、同じパターンをしているというのです。血管をイメージしてください。大きな幹があり、細かく枝分かれしています。先端へ行くほど、細かく細かく分かれていきます。樹もそうですね。川の流れもそうです。雪の結晶もその原理だそうです。だれがあんな美しいデザインをしたのか?それが都合いいからです。この自然のデザインは、エネルギーが行き渡り、成長や進化を生みだすこととなる、というのが彼の解釈です。私が彼の主張を全面的に受け入れているわけではありませんが、1つの見解として興味深いです。

現在の情報化の流れも、そんな感じですね。多くの人々は、どんどん、先端部分へ意識や行動を移しています。そりゃ、しんどいですよね。幹へ、ポジションをとっては、どうでしょうか?

「パターン思考」は全体の設計図、シンプルシンキングは、幹にポジションすること。「物語の力」は、そのグランドデザインがもつ力、と言えないでしょうか。

ところで、現在の日本では、どんどんと情報に振り回されるあまり、昔の物語を不要な(古くさく、役に立たない)「情報」とみなし、見捨てているようです。それは、子どもたちが読むことのできる物語に表れています。たくさんの物語(神話や昔話)を与えようと思えば、中古を探し回ることとなってしまいます。

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