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ホームスクーリング実践記

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[048]学校教育が育てているのは・・・

  

 

私が子どもだった頃、といってもわかりませんね。高度経済成長からバブル期あたりですが、あの頃は、みんな、同じことを言っていました。
「いい学校に行って、いい会社に入る」
それがお決まりの生き方で、それが最善で最良の生き方だと、信じていました。「いい学校」とは、偏差値の高い学校を必ずしも言うのではなく、「普通の学校」と言い換えてもいいです。「いい会社」とは、必ずしも大企業ではなく、「ふつうの会社」と言い換えてもいいです。ようするに、学校へ行くのは、会社で働くためだと言っても過言ではなかったでしょう。逆に言うと、雇われる以外の生き方は、「例外」でした。雇われる以外の生き方をするなら、義務教育が終われば、無理に学校へ行かなくてもいいとも言えました。

会社は、終身雇用が当然でした。だから、社員も、裏切らない。転職や脱サラは「イレギュラーな事象」でした。会社は社員を守る。社員は家庭より会社を優先して働く。それがすなわち、家族を守ることでした。「会社人間」とか「猛烈サラリーマン」が、ふつうの、「いい人生」でした。

バブル経済が終わった1990年代以降、それがだんだんと変わってきました。

ひとことで言えば、「正規雇用が減り、非正規雇用が増えた」ことです。独身であれ、家庭をもっていようと、生計を立てねばならない立場の人が非正規雇用では、収入も低く、将来の設計を立てることも困難で、何かあったら家計が行き詰まってしまうし、生活を改善したり向上させたりする道も見出せません。どうしても、結婚できない人が増え、子どもを持つことへもためらいがちとなります。日本でも、貧富の差が拡大し、中間層が貧困層、あるいは準貧困層、あるいは低所得者層へとスライドしています。

非正規雇用の人生は、会社が守ってくれません。誰も守ってくれません。自ら守るしかないのですが、その手立ては無きに等しい。

かつては、正規雇用の社員がやっていた労働は、今や、非正規雇用の仕事です。

あまりに格差が拡大すると、労働の価値(報酬)は何によって決まるのか?という疑問がわきます。「その仕事をやれる人が何人いるかによって価値が決まる」という見解を見たことがあります。これは非常に的を射ているのではないかと思えます。

かつて会社の社員がやっていた仕事が、現在では、世界がシームレスにつながるようになってきたことと、新興国などの労働力が激増したことで、「その仕事をできる人」の数が、激増しています。ならば、労働の価値は低下してしまう、というのです。「その仕事をできる人」の数を減らすには、規制によって鎖国状態にすればいいでしょう。そのようにすべきと主張する人たちもいます。が、現状は、世界がつながる方へ進んでいます。ますます、「その仕事をできる人」の数が増えていきます。

非正規雇用の最大の問題は、人生へのコントロールを失うことでしょう。かつてのサラリーマンは、限定された範囲内ですが、人生へのコントロールを持っていました。それを「ささやかな幸せ」と感じていました。現在は、それが消えました。もちろん、現在でも、サラリーマンはありますが、人数が減った上に、かつてのような安定感は減少しています。

非正規雇用の労働は、「その仕事をできる人数が多い」仕事ですから、「指示されたことをこなす」ことが中心です。創造的な仕事、すなわち、何も与えられていない状態で、問題を見出し、解決していくような仕事は、「その仕事をできる人数」は少ないはずです。現在の会社は、そのような人材を求めるようになってきています。「指示されたことしかできない人、やろうとしない人」は、非正規雇用で、という流れです。

ちなみに、非正規雇用の方々がされている仕事も、世の中に必要な、大切な仕事であり、貴い職業であることに変わりません。人間の尊厳と、その人の収入とは、何の関係もないことです。その人の能力が低いから非正規雇用であるというわけでもありません。ただただ、社会の仕組みが変わったのです。

産業革命によって、優秀な職人さんが社会から「不要」となりました。職人さんが悪いわけでもなく、能力が低いわけでもありません。変わったのは社会の仕組みです。現在も、同じことが起きています。

さあ、もう、気づいたでしょうか。私が何を言おうとしているか。現在の学校教育が、非正規雇用を育てるために機能していることを。

学校が変わったのではありません。学校は高度経済成長時代から、あまり変わっていません。変わったのは、世界です。世界が激変したから、学校が劣化したように見えるだけです。

かつては、学校教育が育てていたのは、正規雇用(サラリーマン)でした。そして、少数のエリートが、日本のリーダーとなっていきました。
現在、学校教育が育てているのは、非正規雇用です。そして、少数のエリートが、正規雇用の椅子取りゲームをしています。リーダーは・・・不在ではないでしょうか。
正確に言うと、学校教育から正規雇用も出ているので、非正規雇用を育てているわけではありません。が、現在の学校教育のあり方が、非正規雇用のあり方にますますマッチするようになってきています。何度も言いますが、学校が悪いわけではありません。

学校教育の信頼が低下し、受験の弊害があんなに言われているのに、さらに受験戦争が低年齢化し激化しているのは、当然ですね。ゆとりなど、もってのほか。死にものぐるいで正規雇用の椅子を獲得しなければ。(←これは、多くの親から見ての話です)

学校がこのように変わってきた・・・でなくて、世界がこのように変わってきたのが、1980年代ごろからでしょう。共産主義が行き詰まり、東西の冷戦が終わり、世界に壁がなくなり、インターネットが登場して世界が劇的につながっていく・・・

日本で不登校の事象があらわれ、増えていった時期と重なります。学校教育における歪みのあらわれと見ることができるでしょう。だからこそ、当事者は、不登校となる原因を思い当たらないし、他人が見ても、見あたりません。不登校が、このような「歪み」のあらわれではないかと考えるには、理由があります。不登校当事者の言葉、行動、あるいはこだわりが、まさにそこを突いているからです。

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