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ホームスクーリング実践記

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[053]自己責任論は他者責任

  

 

「自己責任」というキーワードに不快感を持つ人は少なくないでしょう。昔は聞かなかった言葉です。殺伐とした、人間味のない、背筋がゾッとするような言葉です。私には、そう聞こえます。

「あなたが貧しいのは、あなたの責任でしょう?」

まるっきり間違いとは言えないにしても、なにか、変です。自己責任とは、自分が背負う責任のことであって、他人が押しつける責任ではありません。上の言葉は、いっけん、自己責任を説いているように見えて、「あなたが貧しいのは、あなたの責任だ」と、その事象を「あなたの責任」にしているだけではないでしょうか。つまり、自己責任ではなく、他者責任なのです。

その事象について、責任を負うとしたら、「あなた」ではなく「私」です。つまり、私が自分のこととして考え、行動する責任を負うことこそが、真の自己責任ではないでしょうか。もちろん、私が「自己責任」を負う必要などありません。そんな義務もありません。私の利益の実現にとって、そうしたいかどうか、自分で選択すればいいのです。責任とは、選択です。選択するからこそ、責任なのです。

薄っぺらい利益を考えているなら、そんな責任を負ったところで、何の得にもならないと見えるでしょう。そして、ガチョウの腹を割く・・・

他人を踏み台にして成り立つ利益はあり得ません。利益は、他者からめぐってくるしかありません。もっとも、あなたが全知全能の神であるなら、自分単独でいくらでも利益を生み出せるでしょうが。

世の中には、さまざまな問題や困難、苦難、悲哀が満ちあふれています。それらを片っ端から、「自己責任や。んなもん、わしの知ったこっちゃあらへん」と知らん顔をするのも、自分の選択です。すると、自分に利益をもたらしてくれる存在がどんどん無くなっていきそうですね。それを選択したいなら、「自己責任」で、どうぞ。

しかし、私たち(少なくとも私たち家族)は、真の自己責任を持ちたいと思います。

私が地球環境や、世界的な飢餓問題に責任をもったところで、明日、明後日も、世界は変わらないでしょう。でも、変わります。私自身が。

1人の人間は非力なので、大きな仕組みを作って、世界を動かそう、世界を変えようという考えがあり、そのような実践を、多くの人たちがしています。

しかし、仕組みで世界を変えることは、難しい。「良い仕組み」を作ろうとすればするほど、裏目に出てしまうというのが、おおむね、歴史の真実ではないでしょうか。よりよい世界を目指して革命を起こしたところで、もとよりひどい状況をもたらしてしまった、ということの方が、現実には多いです。

社会には、仕組みが必要ですが、仕組みを変えて良い社会を作るということは、不可能ではないかも知れませんが、リスクが高く、うまくいきにくいはずです。

『7つの習慣』の続編である『第8の習慣』は、自分の心のヴォイスを聞き、他人が心のヴォイスを聞く手伝いをするという主旨ですが、ヴォイスとは「私のあり方」に他なりません。1人の人間が、自分のあり方、すなわち自分にとっての真の利益を見出したとき、それは周囲の人たちへ波及していきます。世界中に、そのような実例はたくさんあります。お金も権力も学歴もなにもない、無名の地域に住んでいる無名の個人が、自分のあり方を見出したとき、小さな行動を起こし、だんだん広がっていって、やがて大きなうねりを作りだした、という実例も、いくつもあります。

「世界が変わる」というのは、こういうことなのでしょう。偉い人が新しい仕組みを見出して、お金と権力がそれを実現するということではないのでしょう。

世界を変えるということは、自分の内面を変えることなのだ、と、こういう考え方を日本ではしばしば見かけますが、とくに欧米ではとても珍しい考え方であるようです。しかし、最近は、どうも、このような考え方を、日本だけでなく世界中でいろんな人が表明し始めたようです。

これこそが、真の自己責任ですね。

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