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ホームスクーリング実践記

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[054]学校教育を変える

  

 

不登校が、学校教育の歪みを具象化していることに、たぶん、少なくない人たちが、気づいている。学校教育は、非正規雇用を育成するために機能している。非正規雇用には、「指示されたことをそつなくこなすが、指示されていないことを自ら見出し、解決することはしない」というあり方があてられています。そのような生き方が、つまらないとか、ダメだとか、価値がないなどと言うのではありません。自分がそのように望むなら、それで良いではないですか。

しかし、多くの人は、非正規雇用を避けようとしています。正規雇用の椅子を獲得しようとしています。そのために、「自分が自分であることを抑制し、集団に合わせる」という古式ゆかしい「社会性」を大事だと考えています。そのような社会性は、以前ならともかく、近年は、まさに非正規雇用へのルートに他ならないことは明らかです。

非正規雇用がダメなのではありません。望まない道を一生懸命進んでいることが、奇妙なのです。いいか、悪いかではありませんよ。いいか悪いかは本人が決めればいいことです。本人がイヤだと言いつつ、イヤな方へ向かって進んでいる。どうすればいいかと、悩んでいる。どうしましょう?

多くの人が、その責任を学校に求めていますよね。学校が悪い、教育委員会が悪い、文部科学省が悪いって。そうかもしれません。だったら、変えますか?学校を。あなたがそうしたいと望むなら、変えようとする努力は貴いでしょう。

でも、学校を変えるなんて、容易ではなさそうです。たとえ、学校を変えることができたとしても、そのころにはあなたのお子さんは卒業しているかもしれません。

自分以外の他人、あるいは環境を変えるのは、容易ではありません。しかし、自分を変えることは誰にでもできます。何の障壁も条件もスキルも不要です。「変える」という言い方も、適切ではありません。変えるのではなく、見つけるのです。「私は、どうありたいか」を。

学校教育の仕組みは、さしあたって、今のままでもいい。みんなが変えたいというなら、変えたいように変えればいいけど、時間もかかるでしょう。そうではなくて、あなたが「あなたのあり方」を見つけるだけで、少なくともあなたにとっての学校は変わります。

「あなたのあり方」を見出した結果、非正規雇用に就きたいと望むなら、それはそれで幸せでしょう。何も苦しむことはないでしょう。「あり方」を見出した人は、自分で考え、行動していくでしょうから、企業は正規雇用として欲しがりそうです。または、雇われなくったって、いいじゃないですか。何でもできます。

私を定義する人、私のあり方を見出す人、私の心の中のヴォイスを聞く人、いまの、この環境とこの社会の中で、望む人生を作っていけるでしょう。少しずつ、周囲へ波及していくでしょう。それらはすべて、究極の自己利益です。世界のために、と見えて、究極の、そして真の利己主義です。ためらうことなく、おそれることなく、進んでいけばいいではないですか。

以前、不登校で悩み、苦しんでいるご家族に会いました。ときどきしか、登校できないと、気の毒なほど、つらがっていました。
「あの、うちは、1回も登校したことないんですけど・・・。苦しんだこともないんですけど・・・」

どんなケースの不登校よりも、わが家の方が、最も「不登校」です。でも、うちの子を「不登校」とは、誰も言いません。学校に行かないことが不登校なら、うちの子たちはまぎれもなく不登校なんですが。不登校とは、「学校に行くべきだと思っているのに行っていない」と定義できそうです。だったら、「学校に行かなくてはいけないと思わない」なら、即座に不登校が解決するのですね。じっさいに学校へ行くかどうかの問題ではなく。

不登校の苦難は、じつは「あり方」の問題です。現実に機能しなくなっている「学校教育における社会性」を「それ、おかしいやろ!」と表現するのは、ふつうに真っ当なことではないですか。そのようにありたいと自ら望み、そのように行動しているのに、「私は間違ったことをしている」と自己定義するなら、苦しいはずです。

不登校によって、なんの問題が生じるでしょう? 不登校によって、「私のあり方」を見出したなら、素晴らしい幸せではありませんか。見出した人生を、堂々と歩いて行きましょう。

学校に行っている子たちは、それはそれでよいではないですか。学校に行かないと「私のあり方」を実現できないなんてことはありませんし、学校に行けば「私のあり方」を実現できないこともありません。「私のあり方」は環境の問題ではないのです。学校の責任でもないのです。

学校の責任にしている限り、「私のあり方」を見出すことはないでしょう。そして、望まない道を進み続けることになるでしょう。責任は、自分が負う。そこに「私のあり方」があります。

もっとも、あなたに、「自己責任を持ちなさい」なんて言いません。責任を持ちたいかどうかは、あなたが選択するしかないのですから。

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