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ホームスクーリング実践記

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[055]成果主義

  

 

現代の世の中は「競争社会」であると信じている人たちが少なくありません。私が子どものころは、そんな世界観はあまりなかったように思います。不登校が増えだした1980年代後半か、1990年代以降か、そのあたりでしょうか。グローバル化が加速し、拝金主義、効率主義が席巻しだしたのも。

社会では「成果をあげること」が強く求められてきました。成果があがらないものはダメ。成果をあげることがすべて。仕事でも、成果主義の導入がブームになった時期があります。でも、たいがい、うまくいかなかったようですね。

そのころ、「部分最適と全体最適」という概念が見られるようになってきました。部分が最も良い状態を追求することと、全体が最も良い状態を追求することが、整合するのかどうか、ということです。各社員が、「自分の評価」を最大限に高めれば、会社の業績が最大限に高まるのか? 現実には、そうではない結果が噴出しました。各社員が自分の評価を追求することで、会社の業績は上がるどころか、落ちてしまう結果になりがちです。

野球などのスポーツで考えるとわかりやすいでしょうか。各選手が自分の個人記録に固執すれば、チームは強くなるのか?いや、ガタガタになって、なかなか勝てないでしょう。

成果主義は、部分最適を最大化させることに効果的ですが、全体最適には寄与しにくいです。いくら自分が評価を上げたところで、会社の業績が落ちれば、評価をあげたことが帳消しになってしまいます。ヘタをすれば、倒産し、職を失うかも。

組織の中で競争原理を導入することは、難しいです。というか、実際にはうまくいかないはず。成果主義を成功させるには、部分最適と全体最適を一致させる仕組みが不可欠です。それは、容易ではありません。

では、社員一同で会社の業績を向上させれば、それでいいのか、というと、そうもいきません。同業社が競争し合うことで、業界が発展すればいいのですが、顧客に不利益を強いて、業界を衰退させてしまうという状況もよく見られます。

全体最適は、一企業の範疇で考えてもうまくいかないのです。

結局は、全体最適を「世界全体」まで拡大しないと、うまくいきません。環境問題が、その典型ですね。

さて、学校教育は、どうでしょう?

試験、成績、受験。成果主義そのもののようです。だから、それへの批判も大きなものがあります。現在は、競争原理ではなく、創造原理が求められています。価値を他から奪うのではなく、価値を創造する。そのためには、自ら課題を発見し、自ら考え、行動する。個別に競争しては、成るものも成りません。相乗効果、シナジーが、重要なキーワードです。多様性こそが、創造の源なのです。多様性と共生こそが、価値を生みます。競争は、価値を生みません。

わが家の子たちは、学校教育を外から見ています。学校行事に象徴される「学校教育独自の社会性」に大いなる違和感をもっていますし、試験や成績に甚大な違和感をもっています。

わが家の話なら、ここで終わりになってしまいますが、学校教育を外から見ている私から、学校教育の中にいる子どもたちに、お願いしたい。

成績優秀だと自負する方は、あなた自身の利益と幸せのために、全体最適を追求していただきたい。あなたの優れた能力をいかんなく発揮して欲しい。何が全体最適かは、あなた自身が見出すしかありません。部分最適のみの追求は、あなた自身を損ねます。

成績優秀でないと思っている方は、あなた自身の利益と幸せのために、全体最適を追求していただきたい。世界が必要とするのは、多様性です。あなたはすぐれた多様性をもっています。世界はあなたを必要としています。あなたがあなたの持てる力を、あなたにふさわしい場所で発揮することこそが、世界への多大な貢献です。それこそが、全体最適であり、あなたへ還元される利益です。

学校教育のあり方をただちに変えられないとしても、何の問題もありません。試験も、成績も、受験も、良いではないですか。それを成果主義としなければよいのです。成果主義に見える仕組みがあったとしても、必ずしも成果主義であらねばならないわけではありません。

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