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ホームスクーリング実践記

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[056]愛

  

 

『知恵の樹』(朝日出版社)という本があります。2人のチリ生まれの生物学者が著した本です。日本語訳の序文を浅田彰さんが書いています。そのまま引用するとかなり難解に見えそうなので、私なりに簡潔(過ぎるかな?)にまとめると、こんな感じです。

生命現象は、自らの中に創造のプロセスをもつが、同時に他者と呼応しながら創造(進化)を生みだしていく。このプロセスは、人間の社会や文化にもあてはまるものだと著者は言う。

この本は、専門書ではありません。一冊を通じて、扱う範囲は非常に広く、章を追うごとに、ミクロからマクロへと広がり、読み進めるのがアドベンチャーのようでした。
認知→生命→生殖と遺伝→細胞→相互作用→行動→神経システム→社会現象→言語→知恵の樹

最終章に至るまで、どこへ連れて行かれるのか、見当がつきませんでした。

「生物学がぼくらに教えてくれるのは、人間であることの独自性は全面的に、〈言語する〉ことをつうじて起こる社会的構造的カップリングにある、ということだ」というのが、結論であり、そのことが生みだすのは、次の2つです。

(1)個人のアイデンティティや自意識
(2)他人とともに世界をつくりだす(その人を好きか嫌いかは無関係)

そして、そこへ続く言葉は衝撃的でした。
「この行為は〈愛〉と呼ばれる」
「誤解のないようにいっておこう。ぼくらはお説教をしているのでも、愛を説いてまわっているのでもない。ただ、生物学的にいって、愛がなければ、つまり他者の受容がなければ、社会という現象は生じないという事実をあきらかにしているだけだ」

愛とは、主観的な概念であって、科学的な命題ではないはず。しかし、生物学を俯瞰した結論が、愛だというのです。

愛とは、守備範囲の広い言葉です。男女の間も愛です。親子の関係も愛です。郷土へも愛。国家へも愛。会社へも愛。神へも愛。人類へも愛。

著者の言う愛は、そのいずれでもなさそうです。好きか嫌いかとは無関係な愛です。一般に愛は、「好き」という感情と同時にあるはずです。それならば、科学的命題にはなりえません。「愛国心」は「国を好きになれ」と強いるからややこしいわけで、嫌いであってもかまわない愛なら、話は変わります。

現在は、多様性と共生が、重要なキーワードです。もう二度と、悲惨な出来事を繰り返してはいけません。もし「次」があれば、人類は破滅するかもしれません。絶対にあってはなりません。世界中の多くの人が、そう考えるようになってきています。

でも、自然とはそうならない。

他者に出会ったとき、2つのパラダイム(つまり、選択肢)があります。「闘う」か「共に生きる」か。自然界を競争とみるか、共生とみるか。パラダイム(つまり、認識)の問題です。どちらが正しいと証明することはできません。だから、この本の著者は、「認識」から説きはじめます。「愛」を結論づけたしめくくりも、「認識」です。

どちらの認識を選択するかは、私たち1人1人の問題なのです。著者が言う「愛」を定義するなら、こうなるのではないかと思います。
「共生のパラダイムを選択する意志」
もう少し平易に言えば、
「共に生きようと願い、行動すること」

共に生きる相手は、好きな人も嫌いな人も含むことは、いうまでもありません。そして、それこそが、自然の摂理そのものだというのが、著者の主張です。

この「愛」の概念、わが家にちょうだいします。「世界とともに自分の人生を生きる」という、わが家の教育目標は、まさにこの「愛」の概念です。自分をいくら見つめても、自分はどこにもありません。多様性と共生こそ、「私自身」ではないでしょうか。

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