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ホームスクーリング実践記

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[060]学力の定義

  

 

「ヤバイ問題」を3連発したのには、わけがあります。

現在の日本の公教育において、賛成と反対が強烈に分かれてしまう課題です。賛成派も反対派も、相手の主張を受け容れられない、という以前に、聞きたくもない、という様相です。このような峻烈な課題は、数多く見られます。

21世紀には、これらをスルーしては生きていけません。社会が立ち行かなくなってしまいます。どちらかを○と判定することが解決策でないのは明らかです。どちらかを正解とする解決策を目指すなら、双方が、「我こそは正解である、正義である」と主張し、さらに状況が悪化していくでしょう。力ずくで勝ち負けを決めるという、古典的なパラダイムに終始する、悲惨な未来となりそうです。

もうやめましょう、これは。

私だけが言っているのではありません。世界中でかなり多くの人が、いろんな言葉、いろんな表現で、このような主張や発言をしています。ユートピアでもなく、現実離れした理想論でもありません。

今までとは違うパラダイムを切実に求めているが、そのパラダイムはじゅうぶん明らかになっていないだけのことです。つまり現時点での「現実」ではないだけのことです。

グローバル企業も、各国のさまざまな政策も、中小企業も、地域社会も、そして学校教育も、自滅的な戦略(マゾヒスト的戦略)にまい進している事例があまりに増えています。「自滅的」かどうかは、ご自身から見て、のことです。しかし、ある戦略をとりつづけることで、ご自身が八方ふさがりの状況、あるいは衰退不可避の状況、あるいは消滅や破綻を不可避という状況を招き、その解決がまったく見出せないなら、第三者から見ても「自滅的」です。その戦略を選択し、実行したのは、ほかならぬご自身なのですから。

もちろん、何もかもが自滅的なのではありません。発展的、成長的な戦略をとっているケースも多々あります。

「21世紀に生きる力」といった漠然とした言い方が、よく聞かれますが、それが何を意味するのか、なかなかわかりにくいです。でも、世界中でそうとう多くの人たちが、今までとは違うパラダイムを必要としていると感じているのは間違いありません。

20世紀までは、利己主義というと、他者や社会に不利益を与えることと同義でしたが、どうも、それが変わってきました。20世紀型利己主義を採用すると、自滅的な展開になってしまいます。

ちょっと前まで通用していた利己主義がなぜ急速に通用しなくなってきたかというと、グローバリゼーションに尽きるでしょう。交通網、通信、経済など、世界中が直接的に関係し合うようになってきました。インターネットがその最たるものですね。

そうなると、国家が障壁となりがちです。それぞれの経済体制、社会体制、政治体制、法規制が、グローバリゼーションを邪魔する形になっています。そこで、そのような国家の枠をなくそうとか、弱めようという動きがさかんになっています。

世界が1つにつながる、という形は、かつてのような大規模な戦争をなくしていくかもしれません。どうじに、いままでなかった問題をたくさん生じています。

競争原理は、古い利己主義と同じです。自分が勝つことと、相手を負かすことがトレードオフですから。20世紀までは、世界が今のように関係し合ってはおらず、相手を負かしても、即自分が不利益をこうむるわけではありませんでした。

が、どうもグローバリゼーションはそういうパラダイムを変えてしまったようです。誰かを負かす、誰かから搾取するということが、そのまま自分の不利益につながってしまいます。もしかすると、誰かの問題に知らん顔をするということ自体が自分にとっての不利益につながるかもしれません。

逆に言うと、相手の利益になるような戦略をとれば自分の利益も大きくなる、ということが、今までよりも、もっと直接的になってくるでしょう。他人の問題を「私の責任」として引き受けることで、自分の利益がさらに大きくなるでしょう。

まずは、「何が私の利益なのか」を私自身が知らねばなりません。これが、学力ではないでしょうか。わが家では、そう定義しています。

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